世界は称賛に値する

日記を書きます

仕掛る流線型3/24金

自給自足

書いてきた日記(特に再開した最近のもの)をなんとなく読み返していて、自分が書いた文章を読むのをけっこう好んでるよな~、と再認識した。シンプルに読みたいものを読んだなという気持ちになった。こういう「自分の書くものが、自分にとっての"好きなもの"であるか」という問いについては、ひとによってかなり異なる印象だけど、自分の場合はやっぱり、「自分が読みたいと欲しているものを、自給自足的に、自分で書いている」タイプなんだな、って思う。作りたいものと食べたいものが合致しているというか。書いているときに特にそれを意識しているわけではないのだけど、結果的にはそうなっているので、なんというか、オトクだ。こういうふうに出力と入力というか、向かう方向と受けとめる方向が、ほどほどにうまく噛み合っているのって、人生におけるおおきな幸運・不運の話になるんじゃないかな、とも思っている。例えば恋愛対象的な話で、自分の好みのタイプが、自分のことを好きになるタイプだと、比較的幸せにはなりやすそうとか、思うし。

発端の発想

思いつきを突き詰めていく流れで、うーん、背景としてはいくつかの気持ちがあるな~、ってなったりすると、それぞれの配置や強弱を整理しながら言語化していくこととなって、ちょっと面倒だ(だからこその楽しさというのももちろんあるけど)。面倒なので、拡がった範囲のいずれにも通ずる「軸」「発端」的な気持ちだけ、記述しておくんでも、まあいいんじゃないの、って思ったりもする。発端の気持ちはわりとシンプルなものだったりもするので、それだけで済ませられるなら、まあ簡単だし。ただ、そんなふうに、深掘りせず書けるところだけ書く、って形で書き上げると、薄っぺらというか浅はかというか、不足する感じになって、結果つまらなくなりがちではあるんだよな~。正直飽きる。ちょっとは思索範囲を拡げようってなってしまう。あとから読んだときもそのほうがほぼ間違いなく楽しいし。

少しずつ

やらなければならない保険の手続きを後回し後回しにしていたのだけど、あらためてちゃんと対応した結果、まあなんとかなりそうにはなった。頭の片隅にはずっと置かれていた課題ではあった。いいかげんヤバそうだと、ときどき思い立ったかのように状況確認したり制度調査したりしていたので、なんとか前に進められた形である。基本的にはせっつかれる前にサクサク手を動かして進めたほうがよいのだろうけど、こんなスローペースであっても、やらないよりはぜんぜんよい。この世のすべてを"しっかり"やるほどの余裕は流石にないだろうなとも思うし。

とはいえ、今回うまくいったという結果だけを眺めて、結果オーライ的に満足しちゃうと、いずれそううまくもいかないしっぺ返しを喰らいそうではあるので、変に安心しないでくれ、とも思わなくはない。けどまあ、うまくやれた例として記録しておくのもアリではあるかな。そればっかりなったら困るけどこんな成功もたまにはあってよいという話だ。