世界は称賛に値する

日記を書きます

反省エクスポートの5/14日

日曜日

昨日に引き続き、比較的動いたほうではあると思うが、たぶん効率はかなり落ちていた。普段の見て見ぬふりのばちが当たったと言ってよい。日常的にもっとしっかり関心をもち、近い距離で活動していたなら、もう少しマシな動きができたはずである。たいへん反省した。今日だけなんとか無事に過ごせた~(しかしコストもリスクも度外視~)じゃないんだよ、という気持ちだ。明日も明後日もあることを前提に決定するなら、継続不可能なやり口はもちろん却下だ。そんなふうに思える日だったし、そんなふうな判断が最近は多くなっているとも思う。

世界や人生における「責任」的なものが、構造的に、割合を大きくしてきた、という感覚は最近少しだけある。責任や役割なんて、強制的なものではなく、自明のものでもなく、絶対的なものでもないけれど(なので気軽に人に押し付けられるようなものでもないという認識だけど)、それはそれとして、なにかが起こったときにそれを防止できたかもしれない立場、というものは”ものによっては”ありえて、その「ものによってありうる」「責任ある(と表現されうる)立場」の割合が増えていくことだって、あるはずだと考えている。

生活において、自分起点で駆動を始める要素が増えたし、影響をあたえうる要素もまた増えた。という構造変化があるのなら、さすがにそれを理解してもいいんじゃないの、というかな~。自身の影響範囲に関する新たな実感があるなら、その新しい実感に沿う形で、既存の行動原理、行動基準、行動規範を見直してみてもよいのでは、とも言えそう。

なんというか、ある一定の空間の中で、占める割合の大きい人が好き勝手に手を振り回していたらシンプルにあぶないし、さらに、占める割合がさらに増えつつあり、そのことに対する実感まであるならば、それに即したなにかくらいは(しっかり注意するくらいの心がけ、ないし、新技術の導入、くらいは)しなよ、みたいなツッコミは、あってよい。