世界は称賛に値する

日記を書きます

限りを知りたがる12月5日月曜日

言いたい

面白い作品に出会ったときにひとりで黙って噛み締められないタイプである。騒ぎ立てたくなるタイプと言うと流石に言いすぎだけど、言える機会があるなら言いたいくらいは思う。おすすめできたらよいって思うほうだ。最近けっこう立て続けに面白いものに出会って、この輝かしい感じの気持ちが誰にも伝わることなく虚空に消えていくのはもったいないとか思ってしまった。いやこの言いかただと正確じゃないか。こういった気持ちがすこしは伝播してくれる世界でもよいなと思った、とかである。正確じゃないというよりはこの言いかたのほうが見栄えがよいというだけな気もするが。まあ、正確性を捨てて見栄えを重視した、というよりは、どちらもあるけど露出させるときに形を選んだだけ、って認識でもよさそうかな。ともあれ、そんなようなことを考えたのが、日記をまた書こうかなと思った理由のひとつであった。

だけ

これをしただけだよ、という言い回しをしたときの「だけ」ってあやうい。これしかないの「しか」なんかも同様だろう。ほんとうに警戒度マックスで睨んでいる「すべき」「本当の」「絶対」とかに対するほどの眼差しではないのだけれど、その次くらいには警戒心を抱いていると言ってよい。物事に対し、軽く見たりあなどったりすることを、つまりは判断ミスを、誘発させるような言葉遣いだとは感じるからだ。毎回毎回「だけ?」「そこに"だけ"なんて付けてよいのか?」って問いながら使わないといけないような(じゃないとその発言が間違いになってしまうような)言葉だという感覚は持つようになった。