世界は称賛に値する

日記を書きます

楽ちんを教唆する4/10月

愚痴も推奨してくれる

以前は日記に愚痴めいた話は書かないよう意識していたと思う。が、最近は多少書くようになった。書きたいときには書いたほうがよいのかなとは思えるようになってきた。人生観が前とは少し変化した結果だという気もするし、前より鬱屈や辛苦が強烈になってきているので我慢の限界を超えたのだという気もする。そういったものを書いているときに、愚痴めいた話ばかり書いていて申し訳ないなあ、といった目線を持つこともあるのだけど、たぶん、そういうの読んでてツマンナイから嫌とか苦しいとか書かないで、と言うような書き手は、ぼくのまわりにはあんまりいないだろう、と思っていたりもする。苦しいときに苦しいと書くことをむしろ推奨してくれるような書き手がまわりに多いと楽観視している("まわり"の判定は主観的だが)。

書くに値する

書いてみてわかったのは、苦しいとかつらいとか嫌だとか思っているときに、それをしっかり言葉にするってほんとうに難しい、ということだった。愚痴めいた言葉を避けていたときには気づきにくい光景だった。思っていることはあるのでそれは書けるし、閃きを差し挟める瞬間もたくさんあるけれど、そうしていって並べた言葉が、現状を適切に表現したものかどうかは、なんだかんだあやしい。不安定な言葉ばかりが結局は並ぶことになって、直しにも時間がかかった。直しても直しても齟齬が見つかる気がした。衝動とか感情とかが前に前に出てこようとしてくるのでそれを諫めるだけでも大変だったし。これは整合性が取れていないような文章を書く羽目になりそうだ、と最初は感じて、あんまり書きたくないなあ、というようなことも思ってしまったのだけど、でもまあ、書かないよりは間違いなくよさそう、という気持ちには次第になっていった。書く前と書いたあとの(よい意味での)落差がなんとなく見えてきて、これは書くに値する、って思えてきた。