世界は称賛に値する

日記を書きます

混乱を抑制した4/9日

混乱

職種が大きく変わって、知識も歯抜け状態という不安をかかえた中、引き継ぎは曖昧なまま進められたし、引き継ぎ元の人物と新たに上司となった人物の見解は思った以上に別物だった(引き継ぎ通りやってもミス判定されることも多々あった。やりづらかった)。しかも、わからないときや基準を再確認したいときに質問できる相手は妙に威圧的なところがあったし。といった状況がほんとうによくなかったなあとは感じる。相性がよくなかった。

現時点での"なんかキツい感じになった"経緯および状態をぼく視点でしっかり書いてみようと思った次第だ。自分に都合のよい解釈を混ぜているのはほぼ間違いないが、まあ、とりあえずの見解である。書けるところから書いていく。

たぶん、猛勉強してできるだけ隙のない知識をつけたうえで(そうすることによって、いくらかは自信を持つことができて、結果として、"意見の言いやすさ"なんかもふくめた「振る舞い」を、もう少し安定させられたんじゃないか、と思うので)、そうして、物怖じせず、たとえ多少はウザがられたとしても――「そんなこともわかってないのかよ」という威圧感を向けられたとしても、意に介さず、ガツガツと質問でもしまくっていれば、今より多少はよい状況になっていたんじゃないか、と想像したりはする。のだけど、むろん、いまさら感はある。あと、一般知識や専門知識はともかく、社内文化やオペレーションについて「そんなこともわかってないのかよ感」を出されてもなあ、という気持ちもなくはないが、まあそれはそれとして置いておく。

性格的にも厳しかったよなあと思っている(自分の性格を無視して理想論を語ってもしょうがないので……)。ほんとうに相性がよくなかった。良くも悪くも、出しゃばることなくしっかりその空間や場所の文化や癖を見定めようと様子をうかがってしまうタイプだ。それが今の職場では通用しないというか"いまいち動きが悪い”と解釈された感はある。文化や癖なんて完全無視して我を通しまくるようなスタンスのほうが好まれそうだった、と今ならわかる。が、最初はぜんぜん気づけなかったし、しばらく経つまでそういうやりかたのほうがよいと想像できなかった。ほんとうにそのほうがよかったのかもわからない(気持ちや気分の問題だけでいえば、そのほうが"よし"とされた可能性はあるけど)(結局は意に沿わない動きになっていた可能性もあるけれど)。

威圧、怒気、恐怖、萎縮、といった空気がときどきただようところもやっぱりよくなかったよな~とは考えている。が、正直ここについては当人らの意思や自覚は不明だ。まったくそんなつもりはなかったという可能性はじゅうぶん考えられるし、実際、ごくごく自然な、威圧も怒気もまったくない振る舞いだった可能性はありうる(むろん、当人がどう自覚していようと、そういった感情はやはりあって、それに振り回されていた可能性もある)。たしかに明白な攻撃があったというわけでもないしな~。関西弁だからやや威圧的に見えた、くらいの可能性だってあるだろう。なので、あくまで、ぼくからはそう見えた、といった話にはなってしまう。ぼくからそう見えた場面はときどきあって、そして、それとの相性はよくなかった、という話である。

威圧や怒気が混じった空気には強くない。知識や経験を有していて「理屈」をしっかり構築できている状況であれば、それらを精神的支柱にすることで、自分と相手の気を逸らしつつ、言い訳めいたものになるかもしれない言葉も紡ぎつつ、しっかり相対できるケースもあったと思うのだけど(そういうふうに対処できていたことはあったけれど)、とはいえできるのはその程度のことであって、"相手の感情なんて気にもかけない"くらいの完全無視なんてどだい無理だし(たまにこれができるひとがいる。そしてひとにそれを求めるひともいる、という認識だ)、今回はそもそも、知識も理屈も不足している状況であった。精神的支柱を築くための材料がまるでない状況だった。なかなか無防備なタイミングで、結果としてあまりうまく対処できずに、萎縮させられることとなった(という認識だ)。

いやだから猛勉強がひとつのうまいやりかたではあったんじゃないかな~。そんなふうに今なら考えられるところはある。知識面を固めておくことで精神的支柱を立てて防御力を上げることができていたんじゃないだろうか(ほんとうにそれだけで防げたかはあやしいところもあるけれど。別の方向からの攻撃を喰らっていた可能性も想像はできるし)。

しかし、そもそも、仕事を進めるにあたって、こんなふうに"威圧や怒気に立ち向かう必要がある"なんて想定してなかったんだよな~。曖昧な引き継ぎ、教えられた基準を初っ端から変えられる、気分次第で確認の要不要が変わる、答えを明確に示さない大枠だけの駄目出し、といった要因をいくつも重ねた果てに、「なんでできてないんだ」的威圧にさらされる、といった状況をあまり想像していなかった。こういうところに対する理論武装が必要になると想像できていなかった。それが甘かったと言われたら言葉もないけれど。

なんとなくこちらの目線から見えていることを言葉にしてみた。利己的も恣意的も織り交ぜつつではあると思うけど。なんにせよ少しは落ち着いたかな。まだまだ混乱しているところもたくさんあるけれど、多少は書けた。すっきりした。別にこういった分析や理解のために日記を再開したわけでもなかったのだけど、こういったことを書ける場があるのはとてもよいなと感じた。気持ちもよいし、人生にもよいと感じる。