世界は称賛に値する

日記を書きます

年一業務話

▼▼時代的な状況として現状よりも景気がよく「仕事に張りがあった」時期、というものの話を見聞きして、現状と比較してしまおうとしている時が最近はあるのだけれど、現状より景気が悪くて「ただただ仕事がキツかった」時期、というのだってあるはずで、比較してみるならいずれとも比較せねばな、と思ったりはしている。比較してみるならば、前後や上下に関して、同じくらい、比べてみせるのが好きである。考える量や考える時間を同じくらいにしたいと思っている。といった「同時間」を並置させた行動の中に、よさや狡くなさを見がちである。右見て左見て右見るなら、改めて左も見たいのである。結果として、行動全体がいくらか遅延しがちであり、挙動としては、俊敏さ、せかせか、や、あわあわ、を求めがちでもある。せっかち感が基本になっている。


▼▼業務に関するおおきな話し合いがあって、困難だ、難関だ、と思っていた。


▼▼商業的なうんぬんは嫌いじゃないほうではある。人類の叡智や頑張りがいろいろ織り交ぜられていて好きだ。人生の何割かは仕事が占めるので仕事を楽しくしよう、というような言説は基本的に好きだし、日常や生活の中で「仕事」と呼ばれる線引きをあえて行なうことなく分け隔てなく楽しんでいこうとしてみせる志向も比較的好きだ。
▼▼でもまあ、実際の近況で言えば、意識的に「楽しめる割合を増やそう」としても、あんまりうまいこと楽しくできないんじゃないかなあと思える環境的な下落と減衰が続いている印象があるし、下手に線引きをなくしてしまうと搾取的な構造などが出てきて無駄に削られてしまいそうな印象もあって、動きづらそう、と思っているところがある。変なふうに動くと、あるいは、積極的に変えようとしてみただけで、藪蛇になりそうな雰囲気もあって、防衛行動だけで済まそうとしてしまっているところがある。


▼▼言葉にすることで問題が整理できる、ということはある。文句や不満や愚痴、言い訳めいた話、をしてしまいながら、でも、書いているうちに、なんとなく抱えていたものを整理することができて、認識が改まった──決意が固まった──進路が変えられそうだと思えてきた、よ、というようなことが、時にはある。かと思うのだけど、こういう効果を目指してもよいんじゃないか、と、今回改めて思った。あんまり思えたことがない。特に業務や仕事に関してはないかな、と思った。これまで、文句や不満や愚痴を「整理できるくらい沢山」文章にすることがなかったから、かとは思う。なんとなく避けているところがあった。無意識的にも意識的にもだ。
▼▼仕事絡み、ビジネスまわり、に関しては、ごちゃごちゃぐるぐる思っていることがほんとうに多いので、愚痴や不平不満をあえて言う、くらいのことをしたほうがよさげだなあ、って思ったのだった。なんとなく小出しにさせているところがあったせいで、思考が頓挫している気がする。


▼▼後ろ向きな現状認識と前向きな意志、混在させるのは大変、というか、両立や並置させるのは困難だ、と、最近はまた、思うようになってきた──思う癖が出来てきた。このあたりのことに関しても、ぐるぐるしているし、ぐるぐるさせている気がする。螺旋というか回転というか、行ったり来たりしている。できそうに思えたりできなそうに思えたりしている。結局、気分や機嫌、調子による、のかも、とも思った。