世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年03月20日(水)理解を引き締めたいらしい水曜日

複雑な状況に添えられる慣用句

けっこう複雑な状況であっても、それを一言で言い表してくれる適切な「比喩」「慣用句」が見つかることはあって、そういう言い回しをうまいこと添えることで、理解の難度が下がるというか、わかりやすさの空気がキュッと引き締まってくれることがある。格段にイメージしやすくなるシーンがある。いわゆる「語彙力がどれくらい必要なのか」問題って、きっちりした答えを出せない問題だとは思うのだけど、こういう「添え物」としての効果を考えたなら、語彙力なんてあるだけあったほうがよいじゃん、って言いたくなったりはする。決して無駄にはならないというか。語彙力があればなんとかなるとは思わないけれど、語彙力が強烈に活かされる瞬間はきっとある。

春分の日

春分の日。祝日だった。春分の日と秋分の日は、なんというか、具体的な定義・意味を持っていて、好きな祝日だ。こういう具体的な意味を持つ日が、必ずしも祝日とは限らないのが、なんとも言えないところではあるのだけど。

午前中は最寄りのコンビニまで散歩した。午後になって、でんしゃガタゴトという絵本と、お子さまのおべんとう箱の、ふたつを新たに導入した。おべんとうはなんとなくひらがなで書きたくなったし、丁寧語の「お」を付けたくなった。さすがに可愛らしくて「弁当箱」はそぐわない空気だった。ひらがなのほうが可愛くて柔らかいみたいな認識は、妥当な判断か謎なのだけど、気分や雰囲気がそんなふうに見た目などに「引きずられる」ありかたというのも、別に嫌いじゃない。いや、嫌っているというか警戒しているときは間違いなくあるのだけど、ともあれ、活かしたり遊んだりしているときは、楽しい。

2024年03月19日(火)講義を記録したらしい火曜日

研修

ビジネスにかかわる研修風景を鑑賞する日だった。観察・分析・記録をおこなった。内容を確認したときから「耳の痛い話が多いっぽいな」とは感じていたが、実際、そこで伝えられている話を横目で聞いていたら、都度都度、そこそこのダメージを喰らった。わかりやすくダメ出しを受けている気分にはなった。とはいえ、楽しかったとは思う。だいぶ楽しめたんじゃないかな。こういう座学はなんだかんだ好きである。グループワークも好きだ。研修との相性はよいほうだろう。けっこう釣られて「やる気」も出しがちだし。はるか前に受講した記憶のある(一方的でつまらなかった)研修と違い、今回のそれは、講師側にも受講者側にも優秀の気配がただよっていて、為されるやりとりもなかなか興味深かった。おおまかな指導内容は前回も今回も似たところがあったと思うが、楽しさはぜんぜん違った。予習復習から逃れようのない状況だったのもちょうどよかった気はする。しっかり受け止めざるを得なかったせいで、そのぶん、浸透率を高めることができた。巧みな説明を記録する作業は楽しかった。有意義な一日だった。後半は疲れて思考が多少鈍ってはいたと思うけど。

PDCA

日々の行動計画に「不備」は間違いなくある。破綻が見られる。予測通りには進んでいない。PDCAサイクル的な手法で立て直していくのがよいのかな、と(研修内での「PDCA」に関する説明を聞きながら)考えていた。いくつかの日常タスクが明らかに停滞している。後回しとサボりが散見されている。それを見直していくことに損はあるまい。計画・行動・検証・改善のサイクルを活かして動きを変えていくことは可能だろうと感じた。現状の計画の立てかたと進めかたがマズいことはまあいったん置いておいて、それを、無謀だったと反省し、落ち着いて計画し直してみる意味は、きっとある。あらためて、しっかり進められる範囲を、素直に見つめ直してみたい。できることをできることとして無理せず捉え直す。このまま「ぼんやりとした計画」のもと、なんとなく今日もできなかったなあ、とか思いながら、破綻を続けていくよりはよいだろう。準備の段階から動きを変えていく形だ。PDCAサイクルというメソッドの、シンプルなわかりやすさが、むしろ、よい釘刺しと後押しになってくれるんじゃないか、と考えていた。

2024年03月18日(月)思い出したいらしい月曜日

思い出すのに時間を使う

油断すると「思い出す」のにけっこうな時間を費やしている。なにか書きたいことがあったな、という印象だけが頭の中に残っていて、しかし詳細が思い出せないときに、なんとか思い出すことができないものかと、かなりの時間を使ってしまっていることがあるなと思う。ときには、その日読んだ文章をぜんぶほじくり返そうとするくらいの勢いで検索を繰り返していたりもするし。その時間を「別のことを書こう」という前向きな精神のもとで活用していたら、もっとよいことが書けていたんじゃないのか、と思うことも少なくない。なんというか、うまく「思い出せる」こともなくはなくて、結果、そういったときの快感が忘れられない、ってことになっているんじゃないかな、とは思った。快楽への耽溺を感じて少し反省した。

思い出す表現

日記を書いたあと、特に、ごちゃごちゃと歯切れの悪い日記を書いたあとの、翌日か翌々日くらいに、その「長ったらしくなった説明」を、切れ味のよいひと言で、すぱっと切り取ってみせることばに(そこに適した比喩や慣用句や熟語と)出会えることがあったりはする。そういえばごちゃごちゃと書いてしまったが、こんな、すぱっと「決め」る言い回しが、世の中にはあったな、と思い出せることがあって、なんとなくそういうことばは、並列させておきたい、と思っていたりもする。その表現を思い出せなかったことはもちろん悔しいが、思い出せない中なんとか書こうとした姿勢と、工夫した言葉は尊重しておきたいぜ、とか思って、結果、どちらも消さずに、記録しておきましょうと判断する形だ。今後、同じ状況が訪れたときには、選択肢として挙げられるようにしておきたい、とも思う。こういう、「あ!思い出した!」的な執筆欲こそ、書く段になって思い出せなくなりがちではあるのだけども。

例示というほどでもないけど、たとえば「有機的」「多元論」「メソッド」「個別具体的」「メランコリー」「腹案」みたいな単語が出てこなかったり、「生の」「躍起になる」「大それた」「出来合い」「眉をひそめる」「釘を刺す」って言い回しが出てこなかったりする。難解な表現とまでは言わなくとも、ちょっとひねった、あるいは、ほどよく洒落た、表現が、出てこないことがある。いつだって出せるとは限らない。

2024年03月17日(日)美しいエモーションに乗りたいらしい日曜日

雪月花

風景のことばのうち、特別枠としては「雪月花」が思い浮かぶ。別格あるいは規格外といった印象かな。美しく、エモーショナルな、景色の写生文。こういう季節や気候にかかわる事柄を記しながら、生活や人生のことをこまやかに(ときには時系列、重要度や深刻度で、しっかり)織り交ぜて、さらにそこに、琴線に触れた作品のことを書き残していくような日記が、だいぶ好きだとは思う。ぜんぜんそんなの書けていないじゃんとも思うけれど。とはいえ、読ませていただいたときに、「楽しい」「気持ちいい」って思っている日記は、だいたいそういうやつだ。自覚がある。というか、実際に、わ~、おもしろいな~、って口ずさんでいることも多いので、好きなのは間違いない。

2024年03月16日(土)年齢を理由にしないらしい土曜日

丁寧なメンテナンス

執筆に挑む気持ちも前とは変わってきた。いつでもどこでも文章を書こうと思えるくらいの精神状態を構築できてきた。結局は習慣の問題だったなと思う。というか、習慣というものはこんなふうに気づかぬうちに考えを縛ってくるものなんだなとあらためて気づかされた。環境を整えたうえで書いていたときは、しっかりしたシチュエーションじゃないと書けないよ、とか思いこんでいたわけだけど、結果的には、浅はかな固定観念だったわけである。スマートフォンよりはパソコンがよかったし、使い慣れたエディタの縦書きモードがよかったし、人のいない自室でタイピングするのがよかった。が、なかば強制的に、環境を問わず書くことを推し進めてみたら、なんだかんだ慣れてきた形だ。とりあえず書き始めようとする勢いの出しかたは多少わかってきた。硬直した頭の使いかたも是正できてきた。ここがまだ準備できてないからなあ、と言い訳したくなる気持ちもまだ残っていなくはないが、それも丁寧に駆逐していきたいなと考えている。精神や認識を丁寧にメンテナンスしていく時間なんてものがまだあるのかなあ、と思うこともあるけれど(加齢とともに増えてきたけれど)、とはいえこんなもん、年齢を理由にして諦めたりするものでもないだろう。

2024年03月15日(金)驚いて泣いたらしい金曜日

保育園イベント

お子さまの保育園のイベント開催日だった。早起きが少し大変だった。そして、移動にもけっこう苦戦した。遅刻や欠席を極力したくない場合における交通手段リスクって、突きつめると備えるのが難しい。完璧はない。今回そこそこあやうい場面があったと思う。安全策を模索していくうちに限界に突き当たったというかな。とはいえ、種類、費用、予約制度など、手を広げて調べてみたら、もっといろいろな選択肢もあったりはするんだろう。正直、調査不足だった。いずれにしても、ときどきこういったあやうさを感得していないと、普段の安定した交通手段への感謝も生まれないな、とも思った。

お子さまのイベントでの振る舞いは、なかなか壮絶だった。意外なほど泣き叫んでいた。緊張したんだろう。妙に驚く要因もあったらしかった。いずれにしても頑張っていた。想定通りにはいかないものだ。終わったあとは思う存分ねぎらった。今後起こりうる交通手段リスクの問題も考えて、途中、サイクルショップに寄って、オススメの話を聞いたりもした。導入を検討したい。ねぎらいにかったカーキャリアのおもちゃを異様に気に入っていた。