世界は称賛に値する

日記を書きます

笑いを認識

▼▼人の書いている文章に「笑い」を求めることも、じぶんが書く時に「笑い」を織り交ぜようとすることも、あんまりしなくなってきてる気がするぞ……、って気づいた。笑いのある文章を読んで、面白い!素敵!スゴイ!って思うことはあるけれど――目の前に提示された「笑い」を賛美することはできるのだけど、積極的にそれを探しに行ったり、作り出したり、することが、できなくなっていた。とまでは言わなくても、することが妙に減っていた。意識しなくなっていた。
▼▼というか、目の前の出てきてくれた時なら思い出して認識できるんだけど(「知らない」という現象ではないのだけど)、普段は、なんか、忘れてしまっている、頭の中で存在感を薄くしてしまっている、という感じかな。日常の中では「知らない」くらいのノリにしてしまってる。脳内に常駐させないようになってる。
▼▼無意識に「ほかの常駐ソフト」を先に走らせるようになってしまって、もしくは、以前は同時に常駐させることのできていた「ほかの常駐ソフト」が、アップデートによって想定以上に重くなっていってしまい、結果、メモリに余裕がなくなって、「笑いを認識するための常駐ソフト」が起動しづらくなってしまっていた、って感じなのかなー。
▼▼「繊細な眼で世界や人生を見つめる」みたいな「繊細さ」を認識するための「常駐ソフト」が、幅を利かすようになった、んじゃないかな、って思いついた。幅を利かす、というよりは、単純に、好きすぎて贔屓しちゃってた、って感じか。