見間違えない見落とさない
思考、感覚、感情、心、気持ち、理解、といった頭のなかの働きに対しての"認識の細やかさ"として、「パーツ認識」の精緻さ、と、「ルート認識」の精緻さ、という、ふたつの軸があるかな、って思った。このふたつに対して、それぞれ、鋭さが問えそう、といった印象だった。
これこれこうだったからムカついた、といったときに、ほんとうにそれはムカつきなのか?もっといろいろ混ざっていたり、細分化できたりするんじゃないの?そもそもこれこれこうだったと言ってるけどそれも精確なのか?って問うてみせるのが「パーツ認識の精緻さ」の方向性で、これこれこうなときにムカつくって単純に言うけどそこのつながりってほんとうに直接的なものなのか?別ルートだって模索できるのでは?あるいは途中にいろいろ挟まってるやつをすっ飛ばしてない?って問うてみせるのが「ルート認識の精緻さ」の方向性、だ。
目立つ、強烈、派手、といった存在感や挙動のせいで、陰に隠れてしまっているものがあったり、直接つながっているように見えて実は紆余曲折を重ねているものがあったり、そういったところが見づらくなっていたりする。という状態をしっかり見通せる「繊細さ」である。あるいは、スタートとゴールに関する見間違いと、そのあいだにおける経路の見落としを、チェックする機構、センス、疑い深さ、といったもの、とも言えそうかな。