みんなにあてはまる、(ように)枝葉を切り落とす
誰にでもいい顔をするねってほどではなく、大衆におもねっているって話でもないけれど、マジョリティにあてはまるようなことを大々的に公言して、「いいこと言ってます」的な振る舞いが目立ちはじめると、少数派目線では、敵っぽく見えてきたりもする。少なくとも自分たちマイノリティを排除しようとする可能性を持つ者ではないかと警戒はしたくなる。
それとは少し異なる面の話になるが、ある問題から枝葉を切り落とし、それの持つ構造やフローの「よいところ」ばっかり前に出してこられると、つまり、それが持つ意味合いのうちプラス面ばかり見せつけられるように提示されると、強引だと感じられてしまい、繊細な側面をあっさり切って捨てるだけの冷徹ささえ感じられきて、詐欺っぽく見えてきたりもする。
ビジネス書や自己啓発書って、割合こういったノリが目立つ印象ではある。経験上、そういうものにハマり始めた頃にも、こういったノリに支配されがちだと思う。そうじゃないものも、そうじゃない場合も、あるけれど、「よい面ばっかり押しつけてくる」ものが、まあまあ、世の中にはあって、ときに、そこに、不誠実ささえ感じる。というわけで、あんまりそういうのしないでほしい、が基本的な思惑ではあるかな。
疑いモードの起動
できれば物事のよいところばっかり薦めないでほしい、よい解釈やよい手法ばっかり称えないでほしい。そこで切り落とされている精細な面にもせめてちゃんと目くばせしてほしい。すべてを語り尽くすだけの文字数の余裕がないのもわかるが、しかし、言葉の端々にそういう空気を漂わせることくらいできるはずじゃん、というのが、ぼくの経験則ではある。一面ばっかりフォーカスして語られていると、反射的に、疑いの眼差しモードになってしまう。「ウマい話にはウラがある」でしょ、と、どうしたって思ってしまう。特に自分の場合だと、「解釈」や「手法」に関する「ウマい話」には、すぐさま、怪訝な目を向けてしまう。疑いモードが起動するのを止められない。過敏だ。
あえて大雑把
ふだんけっこう繊細な見解を話されているひとが、問題を大雑把にくくって、ただひとつの正解や成功を謳うかのような、わかりやすいコツ、みたいなものを世に向けて語っているシーンを見かけて、うーん、やめてほしいかも、とか思ってしまった。ワガママな話なのはわかっている。不誠実さを見て取ろうとしてしまうのも、不信感を予感してしまうのも、ぼくの勝手な思いこみに過ぎない。「わかってやっていて、覚悟だってしていて、必要だからやっているんだろう」とも思わなくはないのだけど、なんか、それでも、うーーーん、ってなってしまったので、書いた。整理すればちょっとは納得できるし。