無意識の明確化
無意識に、あ、じぶん実はこう思ってるわ、って気づくのは難しい。自分に都合よく解釈するために現実を歪めるレンズを使って物事を見ていることだって多いはずだから、正直、そうそう気づけない。どちらかといえば、「気づかないようにする」ために(無意識に)そうしているのに、わざわざ気づこうとするわけもない。まあでも、ふとした瞬間、遠いところからの連想で、唐突に、見えてきたりもする。たぶんそれはありがたいことなんだろう、というか、ありがたいと受けとめておいたほうがよいんだろうと思っている。
おもしろい話って、別に「論理的整合性がとれているから」「説明がきれいだから」おもしろいわけじゃない。が、ぼくが、自分自身の話に対して、うーん、おもしろくないな、って感じたとき、「論理的じゃないから」「説明に過不足や歪みがあるから」ってところにツマラナイ理由を「見ようとしている」癖があるなあ、って、不意に気づいた。話題や話法がそもそもツマラン可能性から目を逸らし、論理や段落・順番のほうに目を向けて、「あ~、これ、整理ができてなかったせいだわ~」って思いこもうとしている。ことば選びが下手なんじゃない?といった方面もあんまり見ないようにしていた。左右に首を振ってみたらそんなところも目についた。