世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年02月22日(土)相性の悪い場所で平時を望むのは無謀

相性が悪いんだから評価もされまい

いまの職場とはもうどうしようもないくらい「相性」が悪いってことでいいんじゃないかな、みたいなところを基盤にして、いろいろと考えこんでいたここ数日なのだけど、「相性が悪い」という言いかたも、ややあいまいではある。いたたまれない。肩身が狭い。大事にしているところが異なる。価値観や美意識が思ったよりズレていて、見ているところがいつもちょっと違う。そのせいでコミュニケーションには余計な時間がかかるし、どうしたって細かい齟齬と誤解から逃れられない。一方の"当たり前"がもう一方にスムーズには伝達されない状態だ。

そして、ぼくの仕事の不出来とかやりづらさとかを、このあたりの「相性」問題に回収したいと考えるのであれば、その中で評価されたいとか思うのも、きっと、諦めたほうがよいんだろう、とも考えていた。ズレていると信じながらまっすぐ評価されようだなんて、さすがに自分に都合よく物事を捉えすぎである。

まあ、諦めたほうがよいというか、そもそも潤滑に理解しあえない話をしているのだから、構造的に無理があるはずであって、その中で、好ましく評価されることを期待するなんてのは、はっきり言って虫がよすぎる。もちろん、合わせにいこうとしたり、前向きに行動してみせたりすることは、おおむね大切だと考えているので、それくらいのことはしていきたいのだけど(行動や貢献をサボろうという話ではないのだけど)、しかし、そんなふうに"自分なりに精一杯がんばってみた"ところで、やっぱり、超えられない壁があるんだよね~、って「相性」を解釈しようとしているんだから、そのうえで、超えられない壁をちゃんと乗り越えて評価しろ、って望むのは、まあ、理不尽だろう。無理のある望みなのだとちゃんと認識し、当然評価はされないよね、って率直に理解しておくべきだとは思った。諦めるとかじゃなく、形状は認識しておくべき。