世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年8月2日(土)ずっと見栄を張る

見栄にしがみつかないスタイル

見栄を張る。虚勢を張る。かっこつける。そういった欲求を、自然に排せるくらいの精神状態は、ずっと欲しい。というか、そういった「ええかっこしい」にしがみつきすぎることの危うさを(そうやって、格好つけたところだけ見せようとして、停滞する怖さを)、腹の底までしっかり理解して、自然体で、「こういうスタンスってダメダメだ~」と感じながら、動けるようにはなりたい。みっともなくても、ダサくても、下品でも、情けなくても、それらを隠すようにして動かないでいるよりは、きっとよい。それが自然体なら、なおよい。そういったところにある理屈はわかる。効果も意味も想像できる。

たとえば下手な絵、下手な演奏、下手な演技、下手な文章。練習風景を別に隠さない。恥ずかしく思わず、未熟や努力を、誤魔化さない。半端な姿も受け容れる。わざわざ見せつけることはないのかもしれないが、決意と覚悟の結果、不完全で赤裸々な光景を見られてしまうようなら、それはそれでかまわない。しょうがない。誰だってそうなんだし、諦めてよいところだ。わざわざ人に見せないと、みっともなさを受け容れたり、見られることを諦めたりできないというなら、それに準じたやりかただってある。

根性で

恥みたいなものに重きを置きすぎて、うまくさらけ出せないのは、まあ気になっている。とにかく、なんでもよいから、みっともない状態をさらけ出せばよいんでしょう、と乱暴に考えて、投げ出そうとしてしまうことも少なくなく、けど、そんな破れかぶれなやりかたを薦めてるわけじゃないんですけど、と思ったりもする。

とはいえ、やらんよりはよいのかもしれん。新入社員の研修とか、ナンパ師の訓練とかで、街中で異様な大声を出させたり、無謀な飛びこみ営業をさせたり、異性に限界まで声かけさせたりするような、そういった精神論・根性論めいた空気も、当然、感じる。が、見栄を捨てるなんて最初っから精神や根性の話だ、って言われたら、それはそうとも思う。有効性も想像できそうなぶん、バランスが難しい。