世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年8月4日(月)千日同じ反省を写経してなぞる

千回書く

下手にかっこつけずに、未熟でも半端でも、きわめて不出来なものでもいいから、とりあえずは、完成させる。「ゴール」まで辿り着かせて、とにかく、世に出す。最初から最後までの道のりを、みずからの手に、身体に、頭に、実感させる。自分の中だけに閉じさせない体験を積んでいって、そうして、世界を歩む動きを理解したりする。

数日間、そんな同じような話を立て続けに書いてきていて、「またその話?」みたいにツッコまれることを怖れる気持ちもあるわけだけど、こんなもん、実際は、いくら言い聞かせたところで、そうそう心にまで届かない。またその話?とか言ってる場合じゃない。たとえ心の奥底まで響いた気がしたとしても、すぐに忘れて、どうせ変わらない。気づけばまた、見栄を張って、褒められようとして、よい出来のものを提示しようとして、ひとりで勝手に壁を高くして、当たり負けしている。ひととおり落ちこんで終わりだ。なにも為せない。

ならむしろ、百日でも千日でも、同じ反省・自戒・後悔・指南・工夫とかを書いてりゃいいんじゃないの、って気もしてきた。延々と書いていれば、まあ、いつか、ちょっとくらいは、響きそうにも思える。

読まされるほうはたまったもんじゃない説は、まあ、ある。そこはゴメンナサイしておく(しかない)。ひとに読まれる(可能性がある)空間に文章を置こうとしないと、緊張感が失われて、書くこと自体が緩んで続かなくなるため、そこは、なんというか、ゴメンナサイするしかないのであった。