居心地のよい世界が続けばよいと、ROMみたいに
MastodonのタイムラインもBlueskyのタイムラインも、最近のXのそれと比べれば、間違いなく居心地がよい。読みたいひとたちのことばが読みたいくらいの分量で、ほどよく並んでくれている。快い世界が顕現されている。こういう空気がずっと続けばいい、って考えながら、そのうちに、うーん、みずからがまったく参加せず、ただぼんやりそれを望んでいるのって、だいぶズルいんじゃない?って思った。
「みんなのこういった振る舞いがぼくにとって素敵な世界を形作ってくれていますよ~」「今後もずっとそうあってくださいね~」と言いながら、しかし、同じ種類の振る舞いをみずからは実践することなく、ただ、「みんなはそれを続けていってくれ」と、ひとごとみたいに言い続けるのって、無責任すぎ、自分本位すぎ、サボりすぎ、なんじゃなかろうか。ぼくにとっての素敵な世界は、誰かにとっての素敵な世界であるかもしれず、にもかかわらず、ぼくだけが、ROMみたいに振る舞って、搾取するみたいに享受し続けるのは、なんか違うだろ、って思った。
毎日みんなが、ちゃんと、ちょっとずつ、掃除・片づけ・整理してくれている中、「なんて居心地のいい空間なんだ」「このままこの状態が続いてくれりゃいい」なんて、偉そうにのたまっているくらいなら、さっさとオマエも手伝え、と思った次第だ。
おすすめ欄
少し前、Xの「おすすめ」欄が、なぜかすごくよい働きをしてくれていて、お!マジで素敵なつぶやき集めてきてくれるじゃん!と歓んでいたのだけど、最近また、下品で下世話なやつばかりになってきていて、やっぱりダメなんかーい、って思う羽目になった。ちょっとほだされそうになっていた。あぶないあぶない。ってことも別になく、サービスなんて、自分の都合に適していればそれでよいのかもしれないが、まあでも、残念な気持ちにはなった。