世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年02月03日(月)自分の存在が最優先

同じところをぐるぐるする

愚痴というか不満というかツラいキツい嫌だ的なことを書き始めると、同じようなところをぐるぐる回り始めてしまうのが、困りどころではある。整理しきれるかもわからない、同じことを何回言うねんというようなことばを、わざわざ残していきたいわけでもないのだ。解決に向けては動きたい。せめて安定させたい。前向きな落としどころを見つけたい。

守る権利

なにがどうあろうと、ほかのひとより、自分を優先していいんだよ、っていう、きわめてシンプルかつ、強固な地平を、礎にしちゃっていいっぽいんだな、と思えた。どれほど妥当な指摘であろうと、的を射た叱責であろうと、自分自身の存在を脅かすほどの権力なんて、あたえなくてよい。世界の誰もが認めるような巨大な「正論」が、たとえどこかにあったとしても、いつだって、それより一歩上回るところに、「自分の存在」があるんだと、心の底から認めてしまって別によい。いわゆるモラルハラスメントというやつが傷つけようとする人格や尊厳という概念がここのやつなんだな、とも思った。どんなものであれ、そこを損なわせる言葉に、従順になる必要なんてない。反発していい。自身を最優先する権利が常にある。

事実とこころの切り分け

事実の問題と、気持ちや感情やメンタルの問題は、切り分けましょう、みたいな説明がなされることがあるけれど、思った以上にそれができていないんだな~、という単純な問題整理が、今回、ちょっとだけ、前に進んだかな。

上司の思惑・判断の問題と、上司の(感情的な)振る舞いの問題と、上司のマネージャーとしての遂行能力の問題と、上司のプレイヤーとしての遂行能力の問題と、ぼくの気持ちの問題と、ぼくの職場や上司に対する敬愛の問題と、ぼくの価値観の問題と、ぼくの業務遂行能力の問題と、ぼくの自己評価・自尊心の問題と、業務や風土のわかりづらさの問題が、渾然一体となって、昨今の混乱を引き起こしているわけだけど、そもそもいろいろ混ぜすぎなんだよな、と、整理して感じ取ることができた。

事実とこころの問題はまず切り分けてよい。そして、切り分けたうえで、前述したように「自分の存在・尊厳・人格」を、なにより最優先してよいのだ、というふうに、今回、整理できたしだいだ。

いやあ

ほんとうにずっと喰らっているねえ。気がつくとすぐまたツラそうにしている、と客観的には思う。たまに「解決しました~」みたいになってるのはなんなんや、とは思わなくもない。わかりやすく振り回されてはいるんすよ。たまに、ちょっといい感じになったりするので、そうなると嬉しくなって、よかったー、みたいなことを書き始めてしまうわけだけど、まあ、そんな都合よく続いてくれるわけでもないのだった。ぐるぐるしており、解決に向かっていると信じたいが、ほんとうにそうかどうかもわからない。しかし、あくまで希望的観測として、よいほうには向かっている、とはあらためて信じておく。今回たどり着いた「どんな言葉であろうと、その一歩上回るところに、自分の存在があり、常に最優先される」という観点は、今後かなり活かせそうではあったけど。