世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年01月06日(月)最初の仕事の日

まあやっぱり憂鬱か

昨日の夜は、前向きになれたところもあったのだけど、目覚めてみたら、やっぱりそれなりに憂鬱ではあった。連休終わるのはやっぱり嫌みたいだ~、と自己分析してみたが、実際は、連休どうこうはあんまり関係なく、単に、あいかわらず、仕事に対するじくじくした嫌悪や不安が消えていなかった、ってことなんだと思う。警戒心も明らかにうずいていた。突然なにを言われるかわからない、みたいな陰険な空気はまだまだただよっている。油断できない。安心できない。内心は常にしかめ面っぽい。

近況だけ見れば、平穏な空気が流れる瞬間もたしかにあったのに、まったく雪解けに繋がっていなかったことには、まあまあ驚かされた。意外と根深かった。こんなに長引くとは、と、怖くなったところもあったし、逆に、おもしろく思えたところもあった。とはいえなんとかしたくはある。ほんとうになんとかならんもんかな~。とはいえ、もう少し時間をもらえるなら、沈静化させられる気も、しなくはない。慣れていっている感はなくもないし。

厳しくするのと見下すのが混ざっているような

優しさ、丁寧さ、誠実さなどにかかわるものが、油断、甘え、チェックの緩さ、運用の乱暴さ、厳格さと厳密さの放棄、無責任、などと"セット"で捉えられてしまっていて、舐められていたり、嗤われていたり、訝られていたり、警戒されていたりするような雰囲気を、ずっと感じている。逆に、しっかりやらせよう(やってもらおう)とすることと、見下したり締めつけたりすることを、混同しているフシも、だいぶある。そういう風土や文化が苦手だ。合わない。陰険だ、と思ってしまう。「無関係だ」「完全に切り離して考えろ」とまでは言わないが(いずれも影響しあう範囲内にはあると思う)、最初っから同一視して捉えてしまうのは、さすがにやりすぎなんじゃなかろうか。予断が過ぎる。怠惰に見える。むしろそういうところから、信頼が失われ、組織が崩れていくんじゃないか、その端緒になるんじゃないか、という危うささえ感じる。