世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年01月04日(土)いいねを見てほしい

ヘンな仲良し

友情物であろうと恋愛物であろうと、ジャンル問わずというか、なんでもよいのだけど、物語を読ませてもらうときに、サブキャラ同士の意外なところの繋がりを見せてほしい、とは、常に思っている。文章界には、誇張表現としての「常に」が無数に転がっているが、これに関しては、ほんとうに、躊躇なく「常に」と言えるくらい、ほぼほぼ欲していると思う。そうは言っても、毎度毎度、どの物語でもそうなっていたら、なんだかんだ飽きるでしょ、とも言われそうだけど、「ぜんぜん飽きない!」くらいな気もする。いわゆる第一部と第二部とかで、ふだんなら絡む機会なんてなさそうだったふたりが、主人公を間にはさんで、ひょんなところで仲良くなっていてほしくはあるのだった。

いいね

X・Twitterのいいね欄、ひとのものが読めなくなったけれど、自分のも、特に、見返したりはしない。インターネット上に残した「よいもの」の記録、見返していくの、ほんとうにたいへんなので、あんまりできていない。ほんとうはもっと振り返りたい。が、時間が足りない。稀に見返すと、めちゃくちゃおもしろいので、放置はもったいない。ぼくが手癖で「残したがる」ため、物量が飽和しているせい、というのは間違いなくあるが。

自分の「いいね」や「ブックマーク」は、真面目な話(自分にとっては)この世界にあるコンテンツの中で、最もおもしろい場所なんじゃないか、って思えたりしている。たまに読み返す機会があると、それくらいに、素敵なものばかりが、並んでいる。衝撃すら受けている(そして、その大半を憶えていないし、放置してしまっている事実にも、ショックを受ける)。

X・Twitterのいいね欄が自分しか読めなくなったわけだけど、むしろ、ひとさまにだって見てほしいくらいの気持ちは、けっこうあるのだった。こんなにも楽しいものがめちゃくちゃ並んでいるぜ、と、言ってみせたくなる。ならピックアップして素直にブログかなにかにまとめればよいだけなのでは?とは、まあ、いま思った。

悪口雑言が跳梁跋扈するインターネット界、みたいな評価も下されかねなくなってきた昨今ではあるけれど、素敵な思考や視座や目標の話だって、たくさんあって、そういうところに軸足を置くことだけは、まあまあ、できていると思う。裏アカみたいな位置で隠れて誰かやなにかをディスっていてバレたら実はヤバイみたいなものは基本ない。ほどほどには楽しくやれている。そんな自信だけはけっこうある。