地味な話
ささやかなことを、地味なことを、しょーもないことを、むしろ楽しく語り合いたい。凄惨な事件や、派手な事故、社会問題的な困りごとばっかり話題にしたいわけでもない。ものすごくうれしかった奇跡的な事象ばかりを伝えたいわけでもない。あんまり話すことないなあ、って迷うくらいの場面を、暇潰しみたいな投げやりな時間にせず、大事にしたい、って思った。
際立った出来事は、どうしたって話しやすいため、なんか話さなきゃ~、って思い始めると、そういった方向にばかりに目を向けがちだ。けれど、凄惨な事件や派手な事件ばっかり話題にするような振る舞いは、別に、ぜんぜん趣味じゃないぞ、とも思った。ときにはよい。頼るのもよいけれど、寄りかかりすぎたくはない。
日記を書くときも、きょうはなんか凄いことあったっけな~、って考えてしまっていることが多い。意識的に派手で凄惨な出来事を探し求めていることさえある。でも、その頭の働かせかたでよかったんだっけ、と考えておきたくはなった。気をつけられるよう意識はしておきたいと思った。ぜんぜん書くに値しない地味なシーンが、実際は、一番最初に、思い浮かんだりもしている。なら、それをしっかり描けばよいのでは?
駅までただ歩いているだけのシーンとか、駐輪場の精算のために100円玉を探したシーンとか、モニターをじっと見つめすぎていたことに気づいて、椅子に深く座り直し、少し距離を置いたシーンとか、帰ってきて玄関に鍵を置いただけのところとか。いろいろな、なんでもないシーンを、あっさり切り捨てている。切り捨てたいとか切り捨てたくないとかいう気持ちに至る前の時点で、意識の俎上に上げさえしていないことがある。けど別にそうしたいわけでもないんだよな~、って考えていた。
無駄な時間、空白の時間、なにもなかった時間、なんて、実際にはないはずなのに、無意識のうちに、まるで世界や人生の中に「真空」があったかのように、切り取っていることがあるので、できれば、やめておきたい。せめてそこにある誇張や誤認や勘違いは減らしていきたい。