世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年12月16日(月)良くなったり悪くなったりしながらも進む

行きつ戻りつ、いまが悪いタイミング

世界が適切なほうへまっすぐ向かっていってくれるなんて(人類にとって都合のよい楽園に向かって、寄り道せず進んでいってくれるなんて)、ゆめまぼろしのたぐいだろう、とは思っている。期待するのがおかしい。考えが甘い。正しいほうにも、間違っているほうにも、そしてどちらとも言えないほうにも、フラフラと、行きつ戻りつしながら、不足と過剰のあいだを行ったり来たりしながら、最終的にはそれなりのところに落ち着くよう、ちょっとずつ前進していってくれる、って期待するくらいが、関の山だ。それなりのところに落ち着いてくれれば、むしろ御の字というか。

たとえ、いま、世界や人類が、なんとなく悪いほうに進んでいってしまっているように感じられたとしても、ほんとうにずっとそうだとは限らない。ちょっとずつ、フラフラと進んでいく中での、あくまで、一瞬の出来事に、過ぎないのかもしれない。こうしてぼくがぐうぜん生きた百年程度が、ちょうどその一瞬に過ぎなかったのだと、後世、語られないとは限らない。しかも、そういう「行きつ戻りつ」が、いろんなところで、同時並行的に起こっているはずで、それらをすべて統合したゴールを想像することなんて、どうせできないんだとも思う。

こういう理屈にどうしても目配せしてしまうところがあって、結果、悲哀や絶望に染まりきる気にはなれないでいる。新しい道具や思想をばしっと否定しきる気にもなれない。いろんなものが、良かったり悪かったりするに違いない。良いほうにも悪いほうにも振れさせてくれるに違いない。とはいえ、「だから、怖さや心配を声高に語る必要なんてない」「意見をぶつけ合わなくてもなんとかなる」とまでは思わない。むしろ、そういったディスカッションとか争いこそが、「フラフラと前進」させていってくれる原動力なんじゃないか、とは感じている。

mixi2

突然mixi2が来た。敬愛する方たちをたどって登録はした。思い出の余韻に後押しされたところはある。mixiは好きだった。誰でも作れるコミュニティ機能に、足の重心がかけられていて、そこがけっこう好きだった。そういうノリのSNSはいまでも少ないため、新基軸のものとして、新しく遊べる場所になってくれたら嬉しい。なんてふうに期待できるかどうかは、ほんとうにまだわからない。定着しない可能性もあるようには見える。