内面と外界のちょいメモ
ちょっと思ったことや、ちょっと気づいたことであっても、気楽に、サクッと記述しておけばよいのかな、とは思っている。ただ、内面についてそれをするのと、外界についてそれをするのでは、文章のノリとおもしろさが、だいぶ変わる気もしている。
「内面に関するちょいメモ」と「外界に対するちょいメモ」、ちょこちょこ記録していったものを、いずれ、一覧にして眺めたら、なんかこう、まったく異なる世界を眺めている感じにはなりそうである。別によしあしの話ではないのだけど、同じ種類の言葉だとは感じなそう。
どちらの言葉の手ざわりを優先するか
どんな単語であれ、「相手にとっての言葉の感触」と「自分にとっての言葉の感触」は、意外なくらいきっと違う。ちょっと異なっているから気をつけておいたほうがよいよ~、とか言っていられないくらい別物なんだと思う。その単語に個人的な思い入れでもあればなおさらだ。
ぼくの場合、正直どうしても、「自分にとっての言葉の感触」ばかりを優先し、独りよがりな側面の強い文章を書いてしまうケースが多いのだけど、あらためて襟を正し、「相手にとっての言葉の感触(かもしれないもの)」を手にしながら文章を書こうとしてみたら、きっと、性質も種類も大きく異なるものを書くことができたりもするんだろう、というようなことを考えていた。
ぼくにとってのその単語の手ざわりと、あなたにとってのその単語の手ざわりが、どれだけ遠く離れたところにあって、そして、その距離の遠さが、最終的に紡がれる「文章」の有り様を、どれだけ変えてくるのか、意外とちゃんと考えたことがなかったな、って思った。見逃していた。