内実をあらわにしていく
不正行為だと見做されそうな行為が、調べが進むにつれて、すこしずつ露わになってきて、昨日に続いてバタついた一日ではあった。当初、進めようと考えていた業務は、残念ながら進められなかった。けど、総じて悪くない一日だったとは思う。たとえば、調査のための関連情報を集め、取捨選択していく作業は、楽しかった。暴かれていく事柄に対する、悲喜こもごもな思いもなくはなかったが、結論としては、楽しかったといえると思う。Microsoft Excelの関数を駆使して、処理を半自動化していくのは、いつだって楽しい。そして、再発防止も、予防も、同じくらい好きな作業だ。
最後の一時間
もろもろの対処や調査をおこなって、なんとか落ち着いた最後の一時間、だいぶ気の抜けたスタンスで過ごしてしまった。もっと、あがけばよかった。踏みとどまればよかった。やれることはあった。明日に回せばよいかと軽々しく考え、中途半端な終わりを、甘んじて、都合よく、受け容れてしまった。結果として、今日もまた、行動と成果と優先順位のクオリティが、一段下がったんだと思う。こんなふうに、余計な甘受と余裕によって、段階的な質の低下を繰り返している日々だ、といった感覚は、正直ある。
限界ギリギリまでじたばたしてみせるような発想が、そもそもないのだ。ぜんぜん思い浮かばない。着想できない。"あがいてみせる"タイプの選択肢を、いつも、無意識のうちに、スルーしている。あとあと、落ち着いて考え直したときにだけ、スルーしたと思い至ることが可能で、結果、あがいてみせなかったことを悔やんだり戒めたりもしているわけだけど、それじゃ意味がない。行動する直前に、意識して、軌道修正できなければ無意味だ。じゃないと行動なんていつまでも変わらない。家に帰ってきてから気づいたって遅いのだ。なんとか、その場で目が向くようにはしていきたい。気づきやすいよう誘導して(事前に目が向きやすくなるような環境づくりをおこなっておいて)、なんとか「習慣づけ」ていくしかないんだとは思うが。
不安を消し飛ばす
悔いのないよう、できる限りのことはしておく。課題だと思えたことは、とにかくぜんぶやっておく。悔いや心残りが、結局は、こころの脆弱性になるんだぞ、とは思った。とにかくリミットラインまで踏ん張って、さらに振り絞って、なんとか踏み出した最後の一歩、というような懸命な経験こそが、自信として結実してくれるんだ、とも思った。そういうふうにして、わずかでも「限界」に触れようと手を伸ばしてみせたからこそ、得られたディテールが、不安を消し飛ばすエネルギーに転換してくれるんだとも思う。最後の最後で、軽やかにほほえませてくれる。まだやれることはあったんだけどね~、と言い出すような曖昧な手抜き感と逃げ腰感は、むしろ自信をうしなわせる結果につながっていったりもするんだろう。