世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年10月08日(火)報告をもっと丁寧に

シミュレーション不足

業務上での問題が発生したため、事実確認を進めた。取りまとめて、初動も報告した。こういった報告業務は、好きといえば好きなのだけど、毎回、不安だ。「確認しておくべきこと」を網羅できているかが、まず怖い。それに加えて、ファクトと意見を区別し、わかりやすいように並べ替え、認識に齟齬がないよう伝える、といったプロセスを、見落としなく遂行できているかも、怖くなる。そういう指摘は以前も多かった。前よりは、聞き忘れも、伝え忘れも、減ったと思うが、しかしそれでも、見逃していそうで、いくらかの不安は覚える。

最善の成功例や最悪の失敗例をきっちりシミュレートしきれてないせいだぞ、とは考えている。無数のバリエーションをとにかく思いつく限りピックアップできていれば、「確認しておくべきこと」の見逃しは、もうすこし、減るはずである。並置したいくつもの理想像から逆算するかたちで、網羅性を高めることが、可能なはずである。巡りめぐって、安心感も増す。

限界と感じてからがスタート

引き出せるのはこんなもんかなあ、と感じ始めたところから、情報収集も、仮説形成も、取捨選択も、論点整理も、さらに倍くらい、こねくり回してみせるくらいが、実際は、ちょうどよいんではなかろうか。それくらいやってみて、ようやく、満足ゆく出来栄えに到達できるんじゃないか、とは感じる。あらためて問題点を見つめ直しているうちに、そんなふうには思えてきた。

忙しいとか疲れたとかすぐに思い始める。思うことを許し始める。もっともらしい言い訳を並べ立て、せっかくのシミュレーションを、中途半端なところで終わらせてしまう。問題点や脆弱性を挙げるなら、こういうところになるだろう、と思った。こういった習性が、視野を狭め、見逃しを生んでいる。無限に時間をかけられるわけではもちろんないが、プロセスごとの選択肢を探し、絞る時間を、もうすこし、長く、厚く、取ってみてもよい。必死になってひねり出す時間を用意してみてもよい。