世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年09月04日(水)音声入力日記もそのうちに

音声入力を活かしたい

音声入力をもっと活かしてみたい最近だ。ほとんど使いこなせていない。口から発する言葉をよいものにしていきたい。訓練・習熟で質を高められるならそうしてみたい。わかりやすく話せていない気はしている。議論じみた掛け合いの機会が減ってしまったのでなおさらだ。まったく構造化できていない。不安定だ。というか混線模様だ。

帰り道、人通りがほとんどなくなる区域に差しかかったところで、音声入力を試みた。昨今の音声配信は精度や感度が極めて高くなった、という話はよく見かける。その実力のほどを試していみようと思ったしだいだ。実際、たいしたものだった。実用レベルだとわざわざ言うのもおかしいくらい自然に使えた。そしてまた、口から言葉を出すことで文章を練りあげていく、ということの難しさを、痛いほどわからされた。ここまで難しいとかえっておもしろかった。ろくな言葉が出てこない。頭が止まっている。いろいろと試しているうちに、あ、これ、単純に、頭より口が先に動いている状態なんだな、って気づかされるようにもなってきた。

言い間違いや言い直しが横行し、わけのわからない文章が、次々と積み重なっていく。「なにを話そうか、頭の中で決めて、それについて話している」のではまったくない。習慣的な口の動きに頼りきって、発語可能な音声を、必死になって垂れ流しているだけだ、って気づいた必死すぎて、文章がぜんぜん区切られていなかった。だらだら繋げてしまっていた。「ので」「から」「けど」といった言葉が、どうしても口をついて出てしまい、区切りがなくなっていた。区切ろうと意識することすらできていなかった。そんなんで構造のしっかりした話なんてできるわけないじゃん、と自戒する結果になった。

音声入力も一文ごと

文章指南でよく見かける、「文章は、一文一文、区切って書くことで、わかりやすくなるし、書きやすくなるよ」という話を、ふと思い出した。音声入力になったらそれがまったくできなくなってしまっているぞ、と自覚もさせられた。そして、そのあたりのことを考え始めた頃から、ほんの少しだけ、音声入力のあつかいが上手くなってきた。「文章を区切る」は、正直、よい指摘だった。慣れない口の動きのせいで暴走し始めた脳を落ち着かせてくれる効果があった。