放免する九日、水曜日

帳尻合わせ

着想一つを勢いまかせでぽんと言葉にして置くと、たいていは過剰か不足かを感じることになって、ブレとズレを矯正したくなる。結果として、弁護を重ねる羽目になる。この文章もすであやしいところだろう。そして、こういう文章ってわりとつまらん印象だ。こそこそと凡庸なものに寄せていくだけの帳尻合わせを見せつけられている気持ちになるからだ。最初の一文が、身の丈に合わない、地に足の着いていない、実感の伴わない、定型句だと、たいして制御できずに言い訳を繰り返し続ける、ことになりがち。

はてなブログ

はてなブログのトップページで、更新された文章たちがピックアップされているのに、最近気がついた。比較的好きな文章が並んでいて、すこしびっくりした。好きな日記が結構あった。見かけないとか勘違いし始めていたので反省した。生活に根ざした文章、人生に寄り添った文章、あたりは定型文過ぎるかな。手の届く身近を大切にした文章。いや、うーん、違うかなー。書いた言葉を見ていて誤解と欺瞞の匂いがしてきたから書き直すけど、なんというか、身の回りであること、プライベートさ具合、を、じぶんは言葉に対してそんなに大切にしてるんだろうか。距離が大切なのかなー。距離よりは、構造では。もしくは配置、もしくは情緒。情緒だけ飛躍が過ぎる気もするが。

PDCA

転職気味に仕事内容が変わって、前からときどき耳にはしていたけれどなんとなく甘く見ていたPDCAあたりが重要な環境になってきたんじゃないかな、とは思うようになってきた。基礎的な業務スキルと言われているような諸々が活かせる環境になったんじゃないか、と仮説を立ててみる気になった。ほかにも仮説思考みたいな概念もあんまり活用できていないかな。逆算思考とかもそう。ゼロベース思考とかも同様だ。甘く見ていたというか、できているつもりになっていたのだけど、新しい業務内容のもとで見つめ直してみたら、さらに一段階よいやりかたがありそう?という予感がしてきたのだった。