世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年09月03日(火)仕事中、叙述的な考えごとをしたい

闊達な思索

業務中の思索において、文章を書く余裕がいまだに持てていない。余計な緊張に邪魔されてばかりいる。この"肩肘張った"感はほんとうになんとかしたい。

文章を書くことで頭の回転がより円滑になる傾向は、たしかにあるなと思っていて、むろん、ひとによって違いはあるのだろうが、ぼくの場合、文章が好きなこともあって、ある程度スムーズになっているのは、しっかり感じられる。少なくとも、一定の範囲で、目端が利くようにはなっている。挙動の癖をすべて消しきれるものでもないため、なんだかんだ見逃しは残ってしまうが、広さ・深さ・鋭さは、ちょっとずつ高まる印象だ。

落ち着いて文章すら書けない。このゆがんだ環境はなんなんだ、とは継続的に感じている。監視されているような気分ですらある。自由闊達な思索が好まれていないように思えるのも、なんなんだ、って思うし。ブレインストーミングのような「枷」を取り払った意見の交換が、おそらく好まれていない。杓子定規でいろ、停滞していろ、というような観念が、はびこっている。理想的な環境ではない、と批難をぶつけるほどではないが、上中下でいえば、下なんじゃないの、くらいのことは言ってやりたくなる。

今日も、ほんの一瞬だけ、「枷」が取り払われるような、落ち着いた空気の流れる瞬間があった。ときどき、こういう瞬間がある。深呼吸して、肩の力を抜いて、一瞬目を閉じ、物事を、あらためて見つめようと挑んだ。さらに気づけるよう働きかけた。こういう時間をもっと増やせたらうれしい。単独のタスク、中長期的な目標、現状把握、合理性の確認など、いろいろなところに、文章的思索を付随させたい。いまは「単語」レベルでしか頭の中に配置できていない。