世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年08月26日(月)嫌いだ~と感じて軽く書きつけておこうとするとそれだけで終わる

集中したい

業務中、もうちょっとくらいは集中したい。ともすれば気が逸れている。嫌悪感や不快感が集中力を阻害しているところも、たぶんある。無駄に緊張しているとも感じる。リラックスしていたほうが集中しやすくなる、といった話も聞くけれど、それがほんとうなら、まるでリラックスできていないと思う。感情的にも感覚的にもぎくしゃくしている。ただ、それを言い訳にして、なまけたいわけでもないんだよな~。むしろ、言い訳になりかねない範囲からは、はずしたい。集中力・持続力によって、よりよい成果を残せるなら、それに越したことはない。

阻害してくる感情・環境・人間といった要素が、たとえいくらあったとしても、なんとか喰らいついていくしかないんじゃないかな、とは、まあ、思う。ぐちぐち言っていても始まらないのは確かだ。操作だって調整だってできるものならしたい。コツがあるなら知りたい。我が身の範囲でおこなえる対策くらいはしてみせたい。もうちょっと臨機応変に動けるだろうと期待していたのに、頭も体も意外なほど柔軟性をうしなっていて、それも残念だった。

なににせよ、妥当なラインが謎だ。逆境に対し、どこまで頑張れば、許されるのか(自分が許すのか・誰かが許すのか)わからない。個人的な感情、主観的な解釈、腹いせや逆恨みみたいな気持ちまで混じってくると、ほんとうに曖昧である。たとえば「嫌いだからやだーやりたくないー」という精神的な勢いを、どれくらいねじ伏せれば、許されるんだろうか(許されたという感覚が得られるんだろうか)。いろいろ試していると、自分に都合よく線引きを改変している気も、やっぱりしてくるしな……。

嫌いの話

「嫌い」な事実を日記に書こうとすると、どうしても、「こんな状態なんで、"嫌い"なのも、まあしょうがないじゃないですか~」って言いたいノリが混じってくる。ほんのりと、しかし確実に、話がそちらに流れていく。避けきれない問題という気もするが、しかし、だからといって、そういった自己正当化的な成分をお伝えしたいわけでもないんだよな~。だからじゃっかん困る。きらいだー、いやだー、と、書き残してはおきたい。せっかくだから語りたいし、解き放ってみせたい(黙って溜めこみたくはない)。「自己正当化したいわけじゃない」とは書いてみたものの、「オマエのその"嫌い"は不当だぞ」って言われたいわけでもない。というか、正直、ぜんぜん言われたくはない。「その状況なら、"嫌い"って言うのも、まあ、アリかもね~」くらいの許しがもらえればありがたい。

認めてほしいとは、なんだかんだ、思ってしまっているだろう。合ってるよって言われるなら気は楽だ。そう言ってもらえるだけの「正しさ」を、言葉選びによって醸し出せるなら、御の字だ、とも、きっと無意識のうちに考えている。なんとか正当化できないか、格好つけられないか、と模索しているところが、ある。否定できない。

いずれにしても、"嫌い"話をするときのトータルでのバランス調整って、めっちゃむずいな、って感じた。"嫌い"の話を書くたびに、どうやって、見栄えをよくし、誠実さも維持しつつ、バランスを取ればいいんだろう、って頭をひねる羽目になっている。めんどくもある。といった試行錯誤の開陳によってろくでもない精神が露見してきた気もするけれど。