世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年07月29日(月)世界と言葉の一対一(ぜんぜん対応していません)

写し取りきれない

世界を言葉でぜんぶ写し取るのはどう考えても無理だ。とにかく足りない。表現も時間も知力も足りない。世界の解像度は無限大だよね、みたいな言い回しがあるけれど、実際、ほんとうに、数え切れないくらいの要素やパースペクティブやコンテキストがある。すべてを網羅して、描写することも、説明することも、不可能である。

という「語り尽くせなさ」を理解できるのに、語ろうとしたときに、なんでもかんでも単純化してしまい、あっさり話を終わらせてしまいそう、って予感してしまうのは、なんなんだ、って考えていた。たとえば「これについて話そう」と話を振られたときに、語れることなんてないかも、と、一瞬、おびえが頭をよぎってしまうのは、なんなんだ、って思った。

まあ、つまんないことを話しちゃいそうだな~、って思っているんだとは思う。たしかに、自分にとっても"つまらない"、どこかで聞きかじっただけの、それっぽいだけの、話、をするような振る舞いは、あんまりよくないんじゃないか、とは感じている。つまんないぞと詰め寄られても、あらがいきれずに、罪を認めてしまいそうである。それがほんとうに悪いなのかどうかも、また、問い直したいところではあるのだけど。

数日前の日記で、「なんで人間は本なんて書けるほどの言葉を出せるんだ?」(という疑問がたまに生じる)という話を書いた。が、丁寧に世界を見つめ直してみたら、こんなに細かくて多面的な世界に対して、なんで「言葉が尽きる」なんて思えるんだ? という正反対の疑問が湧いてきたので、あらためて考えた。誤解を解いた。同じところをくるくる回り続ける形で、誤解を解き続けているだけの人生、みたいな印象は、ちょっとある。螺旋状になっているので実はちょっとずつ前に進んでいるんだ、という前向きな解釈も考えなくはないが、ほんとうにそんな都合のよい形状になってくれているかは、微妙だ。