世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年07月16日(火)脳内世界像からの話の出しかた

脳内世界像

この世界に生きているあいだ、認識したことや理解したことが、ひとつひとつ、頭の中に積み重なっていく。そして、その積み重ねによって、いずれ頭の中に、もうひとつの「世界」が生み出される。といった印象はあるかな。世界に向き合ったときに得られた「断片」が、素材となって、部品となって、イメージの「世界」が育っていく。しっかり理解できたことは大きく深く細かく描かれ、わかりづらかったことは些細な姿に貶められたりもして、存在の割合は、実世界と異なったものになりがちだが、しかしだからこそ、「自分なりの世界像」が出来上がっていく。

この、なんとなく生きてきた中で、頭の中にいつの間にか出来上がっていた世界の「像」の話なら、ぽんぽんとよどみなく話せたりするんだよな~、とは思う。遭遇率も高く、観察する機会も多くて、自分の頭の中にしっかり"落としこめている"範囲の話は、やっぱり、しやすい。脳内世界の「完成度が高いエリア」には触れやすい。頭の中に出来上がっている「像」を眺めながら、その形状の説明をしているだけ、という気分になったりもする。

好きなものに対する理解度はたいてい高くなる。結果として、「脳内のイメージ世界」においても、好きなものの占める範囲は大きくなりがちだ。たとえばぼくは哲学が好きなので、哲学系の定番の問いにかかわるところは、ぼくの「脳内のイメージ世界」上でも、けっこう綿密に形作られている。意外と「出来上がっている」。だから、多少は、話しやすい。これまでの経験を活かして建築した「建物」や「柱」を眺めながら説明できるようなところがある。まあ、話しやすいぶん、些細なきっかけで話題として出してしまいやすくもなっている、とも言えるが。