世界は称賛に値する

日記を書きます

案出のスカンジウム2/21火

閃き通奏低音

文章を書いているときは次の文章の閃き待ちという風情だ。キーボードに手を置いて次の文章の来訪や神託に耳を澄ます、と言えば聞こえはよい。記述のあいだは通奏低音のように閃きの心地が響いている。気持ちよい。その快楽に身を委ねているところはある。日記を書くときに、いつもその場で思いついたことを書こうとしてしまうのは(あとでこれを書こうと思っていたネタがあっても後回しにしてしまうのは)そのせいだ。事前準備は閃きの快さが鈍る。

次の言葉が出てこない

次の文章に繋がらない(途切れてしまって次の言葉が湧いてこない)ことも多々ある。出てくるのは、ある事物についての認識や思考を書いているうちに、異論や反論、矛盾点が目についてしまい、うまく論理的整合性を保つため、細かな論理の幅調整のための言葉を置いていって、重複や不足を消していく、というときかな。この流れが起こったときが最も文が伸びていく印象だ。このままだと誤解されてしまう、ここがおかしいと指摘されてしまう、みたいな予感が、恐怖を呼び、文章を閃かせる。うーん、この流れを「次の言葉に耳を澄ます」なんていう綺麗な言葉で飾るのはどうなん、という気分にはなってきた。「ビビって言い訳を探し始める」という表現も可能だ。

書き足りない

ここまで書いた話にもう少しなにか継ぎ足したいのだけどうまく出てこない、ぶった切ってぜんぜん関係ない別の話に移動してもよいのだけどわだかまりが残る、なんだか書き足りない、というようなときはやや困る。最初の意見がとてもシンプルに書けている場合なんかだと手がかりが少ないのでなおさら困る。公理やトートロジーみたいに構造的に正しい話(というかなにが正しいかをまず決める話)をしているとき、逆に、めちゃくちゃ狭い範囲に減点して個別的な話をしているときなどに、そうなりがちかな。

文章の拡がりを目撃したい

一文一文の発想の比較大会みたいなものが見られたら楽しそうだな(これもぼくにとっての気持ちよい閃きだ)。「1+1は2だ」とか「目の前に醤油がある」とかの端的な一文から、次になにを書くのか、いろいろな人の頭の働きを観測してみたい。同じ題目での随筆や小論文よりは、短い範囲での着想の違いが見られる形だ。書き出し小説コンテストといった催しもあるけどそれとも少し違う切り口だと思うし(書き出し小説コンテストもそれはそれで着想の比較はできて楽しいけれど)。文章がどういうふうに拡がっていくのか、そのひとつの場面を目撃したい欲である。

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原子番号21 スカンジウム(Sc)

まったく知識のない元素だ。スカンジナビアから名前が取られている。まだまだ研究の途上という状態のようだ。新素材として期待されている。

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