世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年02月08日(木)終わってから眺める日

結果論

「明日の朝、一定時間、機器が使えなくなります」という連絡を、直前である今日になって送信した。送ったつもりになっていた。気づいてよかった。送らないよりは今日送ったほうがよかったのは間違いない。ただ、間に合っているとも言いがたい。もっと早く伝えるべきだったはずだ。なにか予定を立てているひとがいたらきっと迷惑がかかっただろう。類似の通達を立て続けに送っていたため、まぎれた形にはなったと思う。おかげで、連絡の遅延には気づかれなかった。逆に誤魔化せてしまったせいで微妙だと思っているところもある。結果オーライとは言ってもよい。が、結果オーライにどれくらい依存してよいのかも迷う。安心してよいのかずっとわからない。「結果論」をいかに世界観に組みこむかは長年の課題である。「結果」という足場に立って物事を見る精神って、醸成しないほうがよいくらいの、毒性も、感じなくはないし。