世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年02月09日(金)馴染む馴染まないで区別しない日

耳に馴染んだ箴言・助言

こすられまくった理屈というか、聞き飽きた(ある意味で"耳に馴染んだ")箴言・助言を、甘く見ることは正直多い。またそれか~、という精神の動きって、けっこう頻繁に出てくるし、出てきたときの見下し具合も半端ない。まるで聞く耳持たないくらいのノリにすらなる。極力、禁止したいなとも思う。注意はするようにしているが難しい。発生も進行も抑制しづらい。気がつけば舐め腐っている。耳にたこができるくらい聞いたことと、その指針や注意を実践できているかは、まったく関係ないはずのに(むしろ、聞き飽きたと思っているくらいのときのほうが実践できていないことが多いくらいなのに)、「いまだにそんなこと言ってるのか」「わかりきったこと言わないで」「もう飽きた」とか感じてしまうのは、なかなか止められない。

しかも、日常のさなかだと、そもそも、そういった精神状態に陥っている瞬間自体を自覚できなかったりもするんだよな~。だいたいあとで振り返ってみて気づく。日記を書くところまでたどりつけば(一日の終わりに落ち着いて振り返るようなタイミングまで来れば)、運よく気づけることもあるかな、程度だろう。なんにせよ、聞き飽きた話だと安易に捨て去らないだけの習性は身につけておきたい。常識的で一般的な、わかりきったような文句に対しても、新鮮な気持ちを向けられるほどの、精神は、維持しておきたい。