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日記を書きます

2024年02月02日(金)しずかな出勤の日

咳は残ったが高熱は落ち着いた

咳は残っていたが高熱は落ち着いたため出勤することにした。はたから見たら咳という症状はツラそうな雰囲気がわかりやすいなとあらためて意識した。比べると、見た目からは高熱はわかりづらい(極端なレベルで意識がもうろうとしているとかまで行けば別だが)。とはいえ経験としては高熱のほうがツラかった印象だ。配慮するなら高熱症状のひと優先だと感じている。逆にいえば、相対的に咳を軽視しているとも言える。実際、無意識にやや軽視していそうではあるのかな。咳がひどいひとと高熱がひどいひとを比べたら、高熱がひどいひとを、無意識に大事にしているところは、きっとある。

咳を軽視している

咳よりは高熱のほうがツラめの症状だという認識がつちかわれていった日々であった。このあたりの認識のせいで、最近は、ふたつの問題が露見してきている。ひとつは、咳のほうがツラいことだって当然ある(体質などによりツラいひとだっている)ため、そういった場合を踏まえた場合の配慮においては判断にズレが出てしまう点だ。もうひとつは、新型コロナウイルス感染症の蔓延を踏まえると、咳がまったく軽視できなくなってしまうため、こういった場合の判断においてもズレが目立ってしまう点である。

余計なツッコミ

いずれにしても、咳って基本的にはたいしたことないだろう、とかいう固定観念を持っていると見誤る。結論としては、咳を軽視しないようにしてしまえばよいんだろう。せめて多少は意識したらよい。

ただ、具体的でわかりやすいツラさ(例:咳)だけじゃなく、背後に隠れていて見つけづらいツラさ(例:高熱)にも配慮できる認識や精神を持ちたいですね、っていう「見通しづらいところへの配慮」に関する指針の話をしているときに、「しかし咳のほうがツラい場合だってあるはずじゃん」「新型コロナを踏まえたら咳も軽視もできないだろ」とかいうツッコミを向け始めるの(思索にわざわざブレーキをかけるの)、どうなん、と思わなくもない。無駄な弁解を呼んでいるだけじゃんと思わなくもない。まあ、最適ではない"たとえ"を使ってしまったため、余計なツッコミを喰らってしまった、で終わる話な気もするが。