世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年11月13日(月)二律背反を感得する

ダブルバインドダメージ

積極的に動け・自発的に動け・さっさと動けといった圧は感じるものの拙速は許されない。やるなら完璧に進めろという圧も感じるけれど準備に時間をかけすぎるなという気配も感じる。余計なことをするなという圧もあるが積極的に動かなければそれはそれでツッコミも喰らいそうである。スピードとクオリティとエラー。それらの中にある、ほどよいバランス(あるいは神懸かったバランス)を見つけるのが、求められている仕事のひとつではあるんだろう。実現できれば評価だってされるんだろう。実現する道がほんとうにあるのかはわからないが。そのために整えられた環境があると言ってよいかもわからない(むしろ適せない環境の可能性もある)。

とにかく動いたほうがよいのかな~と頭では思えているにもかかわらず、前述したようなダブルバインド的シチュエーションに打ち負かされて、ただ無為な時間を過ごしているだけになっていることがあるのだった。四面楚歌と八方美人のあいだに挟まれて、八方塞がりになって、右往左往しながら、結局、なにもできていないことがある。言ってしまえば餌をあたえられるのをただ口を開けて待つ雛みたいになっていることがあるだろう。というか少なくとも光景だけ見るならそんなふうに見えたりもするんだと思う。こちらがたとえ痛みや息苦しさをこらえてうずくまっているのだとしてもそう見えるならそう見える。みたいな。

あらためて業務上の振る舞いを振り返ってみるなら、気になるのはそのあたりだ、と思った次第であった。無意識にそうしてしまっているのだとしても別に歩みを止めたくはない。環境的にそうならざるを得なくなっているのだとしても別に動きを鈍らせたいわけではない。事情があるにせよ、逃れ得ぬ環境があるにせよ、挙動が鈍っているなら気にはなる。なんとかはしたい。多少はよい動きができている自分のほうが好きだ。わざわざ省みる文章を書くんだからフォーカスはそのあたりに当てておきたいなと思った。なんだか今日も気持ちはどこか沈んでいた。頭の片隅がよどんでいるのがわかった。表面的には明るくやっていたし実害もなかったのだがなんとはなしのダブルバインドダメージを喰らっていたんじゃないかと思う。やだなあって感じの日であった。

圧のまぼろし

書きながらずっと頭の片隅で考えていたこともあったのでそれも書いておこう。

ここで語った"圧"に関しては、正直なところ、勘違いによるものも混ざっているんだろうなと思う。妄想・錯覚・幻視もきっと混ぜてしまっている。要するに、怖がりすぎてなにもいない物陰にまでビビっているような形だ。あんまりよくない状態だとは思うが、しかし、プロセスの見通せない唐突ないらだちからダメージを喰らうこともあったため、それを踏まえての演算処理にもなっていて、だとするなら、枯れ尾花が幽霊に見えるくらいはしょうがないじゃんとも思わなくはない。わけのわからない演算結果が混じってくるくらい当然だろう。なにもないかもしれないところに恐怖するくらいがむしろ妥当だって思ってみたってよい。とにかくプロセスが見えない攻撃は防ぎようがないな。それってほんとうによい話じゃない。最近はこんな思惑をだらだらと持ち続けてしまっているし。ややむなしい。