世界は称賛に値する

日記を書きます

1月9日ブローキング

連休終わり

連休の最終日だ。明日が仕事始めとなる。不安が強めかな。連休前に喰らった怒られがしっかり尾を引いている。残念な年末年始だったと言える。こんなふうに楽しめなくなるんだなー。仕損じたことを引き摺ったまま休みに入るというパターン、最近あんまり遭遇していなかったので、こういう気分になることをすっかり忘れていた。怒られに至った流れに納得できていないせいというのはまあありそうか。納得できていないという言いかたはすこしズレてしまう気もする。起こっていたであろう認識と感情の構造がつかめていないがいくらか正確かな。どうすれば正解だったのか、最適だったのか、ということを、関係者ごとの認識ゲージと感情ゲージを上げ下げしてみる形で脳内シミュレーションしてみたりするわけだけど、ゲージごとのつながりがいまいちわからない、という状態である。

ゲージ上げ下げ

あの事態ってつまりなんだったの?どうしたら防止できたんだろうか?そもそも怒られるようなことだったのか?といった質問の答えが、ゲージの調整位置によってすこしずつ変わってくるなか、最終的にどこを落としどころにしてよいのか、わからない。期待したいところで言えば、自分が最もラクになるところ、つまり、自己正当化しやすい形になってくれたところでゲージの上げ下げを止めたくもなってしまうのだけど、そうしてしまってよいかもわからない(ラクなところでゲージを止める根拠もしっかりはつかめない)。このあたり、事実関係が曖昧なせい、というところもあるな、と書いていて気づいた。ゲージを止めるための根拠は事実からたどり着くのがわかりやすい。でも、そのルートがあまり用意されていない感じだった。

影響

怒り悲しみ怖れなどが頭の片隅にもやもやする連休であった。あらためてもったいなかった。連休中に新型コロナウイルスに罹ったことの影響もあるのかもしれない(あまり関係ない気もするけど、それでも、気落ちを加速させられた可能性はありそう)。よくわからないままの怒られの余波が明日以降にも影響しないかけっこう心配している。断ち切られているとよいなと思う。動きづらい空気が続いていたら困る。そういう状況が続く業務環境自体の良し悪しという問題もあるけど。