世界は称賛に値する

日記を書きます

20230820 短文の話

X

引き続きTwitterないしXの周囲がごたついている。今回は旧来の画像が見られなくなったようだ。改変なのか事故なのかは不明とも聞いた。詳細は確認していない。巻き込まれたくないなという気持ちがあるので遠巻きに眺めている。これまでもふくめて、たくさんの問題が起こっているものの、このまま消えていくようなものではないのかな、と最近は感じている。強権的で非紳士的な振る舞いを取っているのは間違いないが改革は確かに進んでいる。無数の怨念も渦巻いているけれど、おそらく気にしないと決めているんだろうし、こういうものは"微塵も配慮する必要なし"と決意されてしまったら、それはそれでかなり強い。もちろん、配慮しないぶん不評は着実に積み上がっていく。評価が削られていくのは間違いない。けれど、それが削りきられる前に決着をつけられるなら、つまり、崩壊する前になんとか再び上昇気流に乗せられるなら、生き残れる印象でもある。一度でいいからうまいこと好印象を醸し出せれば、過去のことは意外なほど忘れられ、またよい空気が流れ始めたりする。そういったところを狙っているのかなとは思う。余程のところまでいかなければ削りきられない体力(財力)もありそうだし。

なんとか不評の波を耐えきり、改革を終え、過去の経緯を意識されなくなったXが、Twitterの下地を活かした状態で改めて世に膾炙したときに、それが、なんというか、「より幸せなもの」になってくれるのかな、とは考えた。微妙だなとは感じる。これまでTwitterがまあまあの規模感で世に拡がっていて、それによるメリット・デメリットもあったわけだけど、今回の改革によってメリット・デメリットが洗い直されて、「Twitterをよりよくしたものが新たに世に広まってくれたね」っていう形になってくれたりするんだろうか。世直しっぽくなることもあるんだろうか。

悪化する可能性は、うーん、まあ、当然あるだろう。が、しかし、意外とよいほうに転がり始める可能性もあったりするんかな~。謎である。この文章を書き始めたときは、おそらく悪化するだろうなあとか思っていたはずなのだけど、あらためて思い返してみたら、Twitterもわりと運営側のどぎつい陰険さが垣間見えていた気がしたため、イーロン・マスク氏のそれと比較したときに、どうなるかわからん、とはなった。現状の改革プロセスは確かに嫌な圧があるし(こちらを無視ないし軽視しているのでそりゃそうなるわけだけど)、その嫌な圧が改革後の運営にも反映されてしまうなら、不評は続くだろうし、不人気に堕する可能性もある。でも、そうなるとは限らない。迅速な改革のために"いまだけ"そうしている的な強引さである可能性ももちろんある。"いまだけ"だったらどうなるかわからないな~って思った。