世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年10月23日(月)不徹底が目立つのと、時間配分

不徹底が目立つ

業務がみっちり詰まった月曜日にはなった。ほどよい充実感はあった。ただし不徹底はあいかわらず目立つ。どれだけ時間をかけてもよいから、とにかく入念に準備を整え、完璧な体勢で本番の日を迎える、ということをあいかわらずしていない。適度・ほどほどを優先するため、許されるであろう範囲で、手を抜いている。甘えを混ぜている。つまり楽観と油断を混ぜている。たとえ粗雑と不完全のために迷惑をかけることがあったとしても、おおきな問題はないし、しかたがないぜ、と、世界を自身に都合よく塗り固めて、許してもらえる範囲を勝手に定め、ごまかすような心持ちも交えながら振る舞いを決めている。正しさを謳う気はない。謳えないとも思っている。ごまかしという言葉が出てくるのがその証左だろう。時代性や法律を根拠に掲げて、「これくらいが限界なんだからやらなくても許されるでしょう?」という顔は見せているし、実際、そういったものを根拠に手を抜いているわけだけど、しかしそれはそれとして、依頼に対し、懸命に、精一杯、全身全霊をかけて、応えたひととの"差"が生まれるのはわかる。徹底して力を尽くした経験を重ねておいたほうがよいのもわかる。限界突破(限界だと信じている壁の突破)は、せめて、一度経験しておいたほうがよいんだろう。

時間はない

ただそもそも時間がないのも確かだ。いまの生活でフォーカスを向けがちな「育児」と「仕事」を左右に並べて、時間配分を検討したなら、そりゃ当然、「育児」に分がある形にはなる。いやなにが"当然"なのかはわからないが、しかし、"当然"じゃないと反省してここから丁寧な分析を重ねていったところで、結局、「育児」側に軍配を挙げるための理屈を捏ねるだけにはなってしまうだろう。結論ありきの論理的整合にばかり目を向ける羽目にはなるんじゃないかと思う。だったら考える意味もあんまりない。これら二つを比べる動きは正直どうでもよい。

いずれにしても、仕事に対して無限の時間を割けるわけではない(別に無限までは求めてないが、無限とまでは言わずとも、長時間を割くことがそもそも難しいのは確かだ)。"徹底する"ことを意識するにしてもどうしたって限界はある。だからってそれが手を抜く理由になるとは思うなよ、とも思うけども。このあたりはほんとうに難しいな~。懸命による意志と根性と成果の素敵さにも魅せられたところはあるので、変に引っこめたくないというのも、あるにはある。いらんとは言いたくないのだ。でも、仕事ばかりが生活ではない。懸命な徹底ばかりが人生でもない。満足いく頑張りのためのバランス調整は難しい。トライアル&エラーな昨今ではあるな。