世界は称賛に値する

日記を書きます

妥当シナジーの5/11木

業務環境メモ

  • 業務の話はすぐ混線し始めるのでほんとうに切りがないな。下手に手を出さないくらいがちょうどよいのかなとは思ってしまう。話がまとまらず時間ばかり失われる印象だ。ここに時間を使うならほかの話をしたい。
  • とりあえず整理しよう、ということであれば、箇条書きで書くくらいがちょうどよいんじゃなかろうか。一個一個あげていく形にすれば、混線も多少は避けられるだろう。
  • 業務環境を見ていて、遠くから(安全圏から、と思ってしまうけど)上から目線で、「ダメ」判定を下すだけの見解を聞く時間が、最近多いなあと思う。あらためて見つめなおしてみたら、前から多かったとも思う。そんな発言をしているあいだに、寄り添った改善案の話がひとつできるのに、と最近は思ってしまいがちでもある。
  • 見下す、馬鹿にする、怖れ、おびえ、などを軸にした「獣の調教」「体罰による躾」みたいな恐怖政治こそが、最もよい手法だと思っているのか?と、いまの職場を見ていると思うことがある。わりと思っていそうだという空気感が、折に触れてあらわれる感じだ。
  • 恐怖政治。恐怖政治に対しての「当然性」「当然感」みたいなところで、才能を測られている気さえする。当たり前のように、見下せる、馬鹿にできる、威圧できる、といったひとのほうが評価されているイメージがなくもない。逡巡なく"詰められる"精神を、仕事ができる精神性だと見做しており、偉くなる資格がある、とすら思っているみたいな。それができないやつはただの甘ちゃんみたいな。
  • 恐怖によって組織を動かそう、という方向性は、現代的なものではないというか、昨今の経営学等々の知により否定されてきているんじゃないの、って思っているので、え~?そのやりかたでよいんですか~?と疑えているところがあるのだけど、ただ、ほんとうに不適切かは、けっこう謎だ。人類にとって実は恐怖政治こそが最適解、最高、効率的で効果的、といった答えも、ありえなくはないだろと思ってもいる。ただ、たとえそうであっても、昨今の流れだと、あまり前面には出てきにくくなっていそうだが。
  • 最近ちょくちょく見かけるキーエンス社の評判や内実。図抜けて仕事のできる(稼げる)人間が揃っており、結果として給与額も異様なほど高くて、しかし、怖ろしいほど厳格で、限界ぎりぎりの忠誠と献身が問われうる、みたいな事例も普通に耳にすることはあるわけで(そういった成功事例もあまり批難されずに存在し続けているわけで)、そもそも、いうほど隠されていない気もするけど。
  • 厳格であること、見下すこと、怖れやおびえ、忠誠や献身、蹴落とし、といった要素を、それぞれ、あんまり雑に混ぜちゃいけないのかもしれないが。