世界は称賛に値する

日記を書きます

7/16(日) 太陽の功罪を意識する

日曜日

午前中に散歩と買い物のため家を出たけれど、すでに日中さながらの暑さだった。この時点でこんなに暑いんであれば午後はどうなるんだと怖れた。熱中症にはなったことがないが怖い。

熱中症という言葉をそういえば昔は聞かなかった。そのことをときどき思い出したりする。いつしかよく耳にするようになって、時を経るにしたがって、あつかいが精密になっていった。事態の深刻度が着実に増していった。平均気温が上昇しつつある(らしい)ことも影響しているんだとは思う。子どもの頃は日射病という言葉を聞くくらいだったし、あつかいもそれほど大きくなかった。その後、熱射病という言葉も見かけるようになって、最終的に、「熱そのもの」のおそろしさに話が移っていった印象だ。調べてみたら西暦2000年にそのあたりの用語が統一されたようである。

人類が想定以上に熱に弱かったのなら、それがわかったことは幸いだった。二千年くらいかけてもまだまだわかっていないことが多いのは怖くもあるけれど。ただ、ちゃんと確認していくと実際はそんなことばっかりなんだよな〜。意外なことが今ようやく判明していたりする。まだまだ途中なんだなとは思わされる。逆に見れば、どんな学術的な指針や助言も完璧にあてになるわけではないんだろうとも思う。研究も実験もまだまだ足りていない。だからって、人類知を「だからなんのあてにもならん」と断じて、軽んじて、あなどって、個人的な枠組みだけで奔放に判定していきたいわけでもないので、難しい。人類の知性で得られているものも、現時点での限界も、今後の可能性も、ぜんぶ好きだとは思っているし。