世界は称賛に値する

日記を書きます

手土産の土曜日 6/17

土曜日

来客があった。その応対をした土曜日だった。ほどほどにひさしぶりの来客ではあったと言える。わりと新鮮な心持ちで歓迎した。そのおかげか、あまり緊張せずにいられた気もする。おおむね談笑を横で聞いていただけではあったかな。誰かしらの話しぶりを見たときに、頭の回転が速い、機転が利く、論点の押さえかたが適切、ツッコミが鋭い、といったところには、意識を向けがちかなと思う、というか、ひとのそういったところを好んでいるんだろうなとは思う。そういったところに"秀抜さを見る"たび、ひとりで勝手に歓んでいるところがある。物真似する(参考にする)ことでなんとかそれを自分にも取り入れられないだろうか、と思っている楽観と粗雑と無礼はわりとある気もするけれど(なんというか、だから、目の前に実証または師匠的な存在があらわれてくれて、勝手に歓んでいる、みたいな構造な気はするけれど)まあよい。

手土産

ひとさまの家に訪れるときに手土産を持参する、といった礼儀作法的な振る舞いを、以前はわりと軽視していた。あなどっていたし、おろそかにしていたと思う。が、最近はちょっと変わってきた。礼儀正しさというプロトコルの上で、相互理解を確かめあって、丁寧にやりとりすることの"よさ"も、わかるようになってきた。敬意や愛情をそういったプロトコルに乗せて伝えることもしておかねばなあとか思えるようになった。伝わるならなんでもよいじゃんと思うようにはなった。そういう機会も活かさないと敬意も愛情もけっこう伝える機会ないよ、と思うようにもなった。

まあでも実際のところは手土産のよさが実感できただけなんじゃないのかな~という気もする。手土産がその場を直接的、瞬間的に素晴らしいものにしてくれるわけでも別にないのだけど、ちょっとだけ、雰囲気のよさを後押ししてくれるところは、ある。少しだけ空気を優しくやわらかくしてくれる。そういった効果を実感する機会はあった。ので、ぼくも手土産を持参してみたいものだ、って思い始めたんじゃなかろうか。プレゼントするのが好き、的な趣味もなくはないので、そのあたりも関係していそうではある。世の中から「よさそうなもの」を見つけだしてきて、誰かに手渡す、という挙動に、よさを感じる。