世界は称賛に値する

日記を書きます

礼儀失礼マン

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▼▼昨日の『この世界の片隅に』の文章を書いた時、題名のところがなんとなく敬語的な雰囲気になっていて(観てきた→観てきました)、普段はむしろ意識的に敬語にしないよう統一しているところがあったので、あれ、なんでだろ、ルールを破ってでも敬語にしたかった、っていう解釈に回収できたりするのかなー? 極めて素敵な物語であり、これまでの「敬愛の気持ちは抱きつつも敬語で取り扱うところまでは行かなかったもの」たちより飛び抜けて好きな映画だったため、自然と敬語になっちゃったんですー、なんてふうに言えるのかなー? なんてふうに状況認識してみのだけど、なんかこう、このあたりのことをつらつら考えているうちに、あ、なんかあんまり好きな雰囲気じゃないぞ、って思えてきて、うーん、なんだ? と、試行錯誤を重ねてみたりした。


▼▼まあたぶん背後で思っていたのは二つだろう、と、考えていて、結論した。
▼▼一つは、「ほんとうに偶然、なんとなく、気分で、ノリで、あるいはぜんぜん別の文脈があったことで、敬語的な言葉が頭の中から出てしまった、というだけのことかもしれないのに、これまで自然と敬語が出てくれなかった作品たちは今回の作品より、つまるところ「下」だったんですー、とか思ってんじゃねえぞ」ということであった。どっちに対しても失礼だろ、と思った。
▼▼もう一つは、「相手が敬服に値するから、素晴らしいものであってくれたから、大変なメリットをを与えてくれるものであったから、つまり「役に立ったから」、敬いますよー、丁寧に接しますよー、なんてスタンスで──なんていうような言語化のもとで、「丁寧さ」を出してんじゃねえぞ、語ってんじゃねえぞ」ということであった。相手基準で礼儀と失礼を使い分けるの、うーん、まあ、やっちゃうときはやっちゃうし、そういうふうに解釈できる場面なんていくらでもあるんだろうけれど、最初っからそれを自覚し、公言し、そのスタンスを意識してるのは、ちょっとなあ、と思うところは、わりとある。