世界は称賛に値する

日記を書きます

断絶クラッシュの5/30火

切り離し

なにか書こうと思っていたことがあったが忘れてしまった。メモしていなかったのは完全に油断だ。もちろん絶対に書かなければならないことなんてない。「書きたいことA」が頭から消えたところで大過はない。「書きたいことB」を書くのとたいして違いはないだろう。なくしたことを変に大袈裟に捉え、より価値があったかのように錯覚しているだけだと思う。

けど、って繋げようとも思ったけれど、まあ、その通り、単なる錯覚だろう。「なくすことを変に大袈裟に捉えてしまう」系の認知バイアス。損失回避の法則とかかな。いわゆるモッタイナイ精神。いずれにしても、忘れてしまったことを嘆いている暇があるならさっさと次の着想を探すほうにシフトしたほうがよいはず、とは思った。そういう気構えが有効なことは経験則的にもわかっているのに、すぐ忘れてしまう。すぐに忘れて、今回みたいに、ぐだぐだと、「思い出せないよ~」って悲しみ始めてしまう。

変にうじうじしているよりはばっさり切り捨てられたほうがよい。めちゃくちゃ雑な言語化だけど、そういった精神構造は、たいていの困りごとに有効な対処だと思っているので、適宜、導入は進めていきたい。諦めとか開き直りとか悟りとか、いろいろな切り口があるとは思うが、とにかくなんにしても「切り離し」を可能とする精神回路を、どれくらい、人生に、あるいは自分に、うまく組み込めるかが、キモになってくるよな、とは考えている。

異世界から帰る話

最近の異世界転生物語は元の世界に帰ろうとしない(考えすらしないことも多い)という記事を見かけた。昔からそういう作品はあるし、別に最近のものに限った話じゃないよ、だからそれは事実誤認だぞ、という文章も見かけた。正しい傾向や事実は不明だ。たしかに、帰ろうって思わないんだね~という違和感を持ったことはあったか。まあそれはともかく、自分の子どもの頃、まず、異世界"転生"したいと思ったことはなかったな、ということを思い出した。誰かに生まれ変わりたいみたいに思ってことってあまりなかった(わりと自分のことが好きなほうだったと思う)。とはいえ、異世界に行って冒険してみたいと願ったことはあったので、異世界"転生"ではなく、異世界"転移"はほどほどに求めていたかな。ただしこちらについても、帰れないなら嫌だ、って間違いなく思っていた。この世界けっこう好きだから離れがたいな~と感じていた。まあその結果、世界は称賛に値する、とかいう題名を付けるに至っているわけで、そりゃそうか、とは言える。