世界は称賛に値する

日記を書きます

深化トライアルの5/31水

深呼吸

丁寧に深呼吸したときに、すうっとなにかが引いていって、頭の中が静かになり、肩の力が抜けて、穏やかな心持ちになる。非常に好きな感覚だ。が、基本的に普段は意識できていない。すっかり忘れてしまっている。それを実践して、リラックスするたびに、なんでいつもこの感覚であれるよう振る舞っていないんだろう、と考える羽目にはなったりする。あと、深呼吸に関する文章は、深呼吸を誘発してくれて、好きだ。この日記の一文目もきっとそうなるだろう。たとえば明日読み直したら、その瞬間に、深呼吸し始めることになると思う。そもそも、いま、一文目を書きながら深呼吸していたし。

深呼吸によって身体や思考が「落ち着きモード」を迎えるたびに、そこで切り替える前に無意識状態で保っていたモード、なんというか、いわば「ほのかな興奮モード」「ほどほどの緊張モード」みたいな感じの体勢、なんなんだろうな、とも思う。ちょっとだけ感情が昂ぶっているスタイルというか、そこそこの緊張感を維持しているスタンスというか。ほどよい感じに熱に浮かされている状態。ごくごく自然にしているときはそちらに寄っていってしまう、ということを踏まえると、それはそれで効果や意味があるんでしょうなあ、とも想像する。深呼吸によって頭を冷やして、いつもこんなふうに冷えてたらよいのに、とか無邪気に思ってしまっているわけだけど、いつもそうじゃないのにもわけがあるんだよ、とかは言えそう。ほどほどの"リラックスしていなさ"が生んでくれている情動や着想はありうる気がする。体温みたいなもので、ひとによってその水準は異なる、という個人の問題になるのかもしれないけれど。

電子書籍と紙書籍

電子書籍にもかなり慣れた。当初は、紙書籍と比べて、うまく集中できない、なんか落ち着かない、頭に入ってこない、とか思うこともあったのだけど、馴染んだ結果その感覚もほとんどなくなった。媒体の問題ではなく認知の問題だったんだろうといまは考えている。今後、やはり人類の認知機能的にはやはり紙などのほうに適性がある、という研究結果が出てくる可能性ももちろんあるけれど。同じような意味では、長期的なスパンで人類が電子媒体にどんどん適応していく可能性もあるけど。とはいえ、紙書籍がなんとなく落ち着くのもたしかだ。これは身体の挙動とかユーザーインターフェイスの違いが影響している気もする。なんにせよ、この"落ち着き"は深呼吸の心地よさに似ているなと思った。

水曜日

新たな社員の突然の入社が決まってバタついた。大きな流れはそんなところかな。しかし平日の日記はフォーカスが仕事に向きがちだ。そこに対する不満が少しある。いろいろな活動の事柄をバランスよく配置したい欲がある。色合いも味も栄養も練りに練られたバランスのよい料理の盛りつけのイメージだ。

仕事のことばかり見てしまうのは、費やしている時間とか重要度とか心配事とか価値観とかの割合のせいかな、と発想してみたけど、単に記憶しやすいだけな気もする。整理志向が普段から混じっているので、まあまあ脳内に残しやすい。メールが読まれてなかった、というのが反省点だろう。反応がなかったならその可能性も踏まえてよい。共有できていないのは怖い。リマインドしようと改めて思った。

水曜日刊行の週刊少年マガジンも読んだ。最近は『黙示録の四騎士』がさらに楽しくなってきた。が、物語ぜんぶを楽しめていないなとは感じる。前作となる『七つの大罪』を最後まで読んでいないせいだ。これだけおもしろいストーリーを情報不足で読み進めるのもったいないな~という気持ちがちょっと出てきた。