世界は称賛に値する

日記を書きます

晩春ストロールの5/4木

暑めの散歩

駅まで出かけて散歩した日だった。いまの家に引っ越してからまだ数年も経たないくらいの状況なので、周囲の地形もいまいちつかめていない。隣の駅で下車したこともこれまでなかった(うろうろしていたときに近づいたことくらいはあったが)。静かな気配の駅で下車してみて、まわりを散策するのは、わりと趣味だ。昔からよくそうやって遊んでいる。通学途中にしろ、通勤途中にしろ、途中下車してみることはてみることは多かった。特に、本屋さえあれば降りて足を運んでいた。今回は特に目的もなく、本屋もない駅だったので、駅の改札から、なんとなく繁華でないほうに向かって降りてみた。

ちなみに「繁華」という言葉を今回初めて単独で使った(熟語としての「繁華街」という使いかたしかしたことがない。むしろ、いま、書いていて、あ、この言葉って「繁華」で区切れるじゃん、って気づいた)。見慣れてはいたのだけど実は単独ではぜんぜん触れたことがない言葉を、知っている単語の中に見つけるのは、好きなほうだと思う。あえて使ってみるのも楽しいし。なんというか、これまで見逃していた「切り口」を見出せた気持ちになる。これまでの「繁華街」経験を思い返しながら、あ、あの中から「繁華」が切り出せるんだ、と気づくことができ、記憶に新鮮味が加えられる印象である。

陽射しが強かったので今日を散歩日にしたのは失敗だったかなとは思わないでもなかったけど、日陰に寄ればまあまあ涼しくて、むしろ散歩日和か、と最終的には思った。途中でパンを買い食いしつつ歩き回って、帰路についた。けっこううろちょろしてみたので、地形はなんとなくだが把握できた。最寄り駅を基準にするのであれば最低でもその一駅隣くらいまでの地形は歩いて把握しておきたい欲があるかな~。というか、エリアごとに区分して地形を把握しておきたいような気持ちが昔からある。山手線を歩いて一周みたいな大がかりな地形把握にも憧れるけど、ちょっとした散策の繰り返しによって、探索済みエリアを埋めていき、ときどき、その相互の繋がりが見えてきたりする、というのが理想的だ。