世界は称賛に値する

日記を書きます

鮮黄プロジェクトの5/5金

遊ぶ予定の中止

遊ぶ予定があったが中止した。基本的にはおそらくなにごともないだろうけど不運にもなにかがあったら極めて困る、といった事象が起こってしまったため大事をとった形だ。非常に残念ではあったし迷惑をかけたのは心苦しいが、こういうこともあるかなと思う。

計画通りにいかないことだってある。最近は前より、おおむねそういうものなのではないかな~、そして、別にそれでよい気もする、って思えるようにはなってきた。諦めの話ではなく、自然にそう感じられるようになってきたと思う。計画通りにいかなくてもしょうがないとかではなくて、計画通りにいかない状態も気軽に受けとめられる精神構造を構築できてきた。なんというか、自分のやりたいこと、自分ファースト、みたいなものばかりでなく、相手ファーストというか、世界ファーストというか、"みずからのもとに偶然訪れたものにふりまわされる"的な事柄の内部にも、満ち足りるなにか、を見出せるようになった感じだ。昔は、なんかやだな、って(粗雑な解釈によって)思っていた。が、いまは、いうなれば、食わず嫌いだったな、ってただ思う。

意志、主体、理性、自己とか、そのあたりのものを、以前よりも、もう少し、やわらかく、弱めた感じで、捉えられるようになってきた、って言えるかな。

最近、比較的愉快な気持ちで歴史を学べるようになってきて(歴史めっちゃおもしろい)、宗教、観念、文化、思想、主義といったものが持ちうる多様性と、それが現代では実際にどう顕われているかを(――現代だとそういった事柄がどのような姿で顕われており、それがどれくらい偶発的なもので、本来はどれくらいの多様性を持ちうるものかを)知ることができたので、結果として、嗜好や期待、執着心が柔軟になってきたんじゃないかと思う。おのれの精神状態がいかに現代的ないし近代的な形式に染められた"ありがち"なものか気づかされて、なんとかしたくなった、とも言える。ちょっと見栄とか恰好つけとかひねくれとかも混じるけど、まあ混じったってよい。