世界は称賛に値する

日記を書きます

解像のネオン2/10金

解像度・粒度

物事をより精緻に見ようとしたときに、同じ面積の中に、より微少なセンサーを敷き詰めたほうが、つまり、数多くのセンサーを配置できたほうが、はっきりくっきりした像になるだろう、というのは想像できる。

このようなイメージを「解像度」と言ったほうがよいのか「粒度」と言ったほうがいいのかは迷う。結局のところどちらも比喩なわけだけど、実際の使われかたのほうにそもそも多義性があって、そのせいで、比喩として使ったときにぴったり伝わらなそうで困る。

解像度は解像度で、密度をあらわす(印刷における)”物理的解像度”とピクセル数をあらわす(WEBにおける)”画面解像度”というふたつの意味で使い分けられているようだし(物事をより精緻に見よう、という場合は、前者の意味で使いたい感じだ)、粒度のほうは粒度のほうで、基本は粒のおおきさという意味でわりと安定しているのに、データマネジメント領域だと”管理粒度”という考えかたに乗っかられて、なんか”抽象度(単位)を合わせる"みたいな意味合いを持ってくる(後者の意味に取られると誤解になっちゃうんだよな~)。この解像度と粒度の混乱の中に「画素数」とか混ぜ始めたらもうほんとうに適切な比喩がわからない(画素数だとたぶん適切ではなくなってしまうけど、細かい画素、小さい画素、といった言い回しにすれば、むしろ適切なのかも、とは思った)。

なんとなく整理しながら書いてみたけどここまでの理解が合っているのかもわからない。

精緻に物事を見るようにしたいし、はっきりくっきり見えるようにしていきたいし、解像度を上げるなり粒度を上げるなり画素を増やすなり細かくするなりしたいわけだけど、そして、そういう「精緻に物事を見ること」について語りたい場面は多いのだけど、なんか、いつも、どう言っていいかわからないなー、とはなるのだった。

別にもうどれだろうとそこそこ伝わるのではという説はある。また、精緻に見る、詳密に見る、微細に見る、というような言い回しもシンプルに好きではある。

余談だけど、カメラのイメージで、ピントが合ってなくてぼんやりと曖昧な像が写っている状態で、ピントを調整しながらはっきりくっきり写るようにしていく流れのことも、まあ思う。これも言いたいこととしては同じになるんだよなと思ったりする。うーん、でも、解像度上げなきゃね~、と、ピント合わせなきゃね~、は、印象としては別の話になる(ところもある)よな~。