世界は称賛に値する

日記を書きます

前を戻したがる12月6日火曜日

思い出話

自分史とか個人史といったものがとても好きだ。思い出話が好きだと言ってもよい。前に数名がブログで書いてくれていた記憶があって、とても楽しく読んだ。が、その後、あまり拡がっていない印象だ。もっと書くひとが増えないかなと思っている。なんかこのあたりの文章を読んだ結果、自分の思い出って自分が書かないとぜんぶ消滅しちゃうんだよなー、ということを再認識して、日記を再開したところがある。ぜんぶの思い出を書き出してみるのも面白いんじゃないか(ぜんぶは誇張)くらいの意気込みはあった。

あぶない橋

関係ないけど(関係あるけど)、子どもの頃のことを思い返したときに、いま思うと非常にあぶない橋を渡っていたというか、犯罪すれすれだったというか、むしろボーダーちょっと超えていたんじゃないか、まあそこまでいかなくても今なら許されない、みたいな無邪気な挑戦があった。個人史を書いたとき、こういうのって流石に書けないよなー、って思う。ためらいは感じる。なんでも赤裸々にかくことが個人史ってことじゃないでしょ、という指摘は当然ありうるが。あと連想だけど、石原慎太郎氏の最後の著書(自分のことを書いている)は、なかなか赤裸々で面白かったとも聞いた。赤裸々の面白さも、大切さも、とはいえあって、そこも考えたくはあるなー。亡くなったときに公開されるシステムは確かになかなか素敵だ。

コロナ

コロナワクチンの接種を予約した。コロナウイルスの危険性もワクチンの危険性も、正直よくわからない。今年になってコロナウイルスでの死亡者は増えているという話は聞いた。ワクチンを打った流れで亡くなったといった事例も耳にした。3回目や4回目のワクチンを打ったときにどれくらいの効果があるのかもいまいち微妙だ。国家の判断だし大丈夫でしょうと言えるような信頼性も抱けなくなりつつある。国ごとの状況の差(それを引き起こしている要因)もいまいちわからないし、国ごとの対応における温度感の差もさっぱりだ。わからんことしかないくらいである。それでもワクチンを打つかどうかくらいの判断はまずしないとならない。ことなかれ主義な感じで、まあでも打っておいておおきな損はないでしょう、くらいの雑な判断をしているなとは思う。なんか、この件については、これくらいしか書けないなあ。ただ、この時点のこの認識を書いておく意味はあるかなと思う。記録としてはむしろとてもよいものと言えそう。書き忘れたけど、コロナウイルス関連に対して、いろんな判断をうながしてくるそれぞれの人たちの根拠や勢力図も正直よくわからん。そのあたりの混乱も混じっている昨今だ。書いていたか忘れたけど、いまは育児をしているので、さすがに感染させないようにしたいというのもある(ワクチンによってうつさずに済むのかもわかっていない)。