ごった煮の日記
ごった煮というか寄せ鍋というかちゃんぽんというか、いろんなものを混ぜこぜにすることが自体が目的になっているような文章も、楽しい。とにかくいろいろ混ぜこまれていて、「どれだけ彩り豊かにできるか」みたいな雰囲気になっている文章、といえば聞こえはよいが、「どれだけカオスにできるか」みたいな文章になる気もする。あちらこちらにどんどん目移りしていくような文章だ。
ブツ切り的に分断された個別の文章が、おべんとう箱の中にぎゅぎゅっとくっつけて押しこまれているようなイメージも持ったけど、それぞれ独立しているはずなのに謎の調和や融合をなぜか維持していて切り離せない奇跡的なバランスのキメラみたいなものも想像はした。
あと、それぞれの話題をあまり深掘りすることなく、表面をなぞるようにして、ぽんぽんと話を進めていったほうが、それぞれの話の独立性を保ちながらも互いにからだを押しつけあうような至近距離で配置させられる気もしたのだけど、ほどほどの深さの深掘りも織りまぜながらメリハリつけて話を進めたほうが、結果的に、謎の調和感につながってくれる気もした。
こうやってあらためて見つめ直してみると、謎の調和・融合の感覚を、体現させられるくらいの、絶妙な配分比率って、実現はだいぶ難しそうではある。
日常・生活・人生って、結局は"ごった煮"なので、せっかく日記を書くなら、そんな空気も上手に再現してみせたい、みたいな視点もあるかと思う。風景や出来事といった日々のことをちゃんと描いていこうとすると、結果として、だいたい、ごった煮的なものになっていく気もするし。というか、「時系列」というのが、種類を統一させることなく、いろいろな要素を並置させてくれる(ごった煮を可能にしてくれる)文脈なんだよな、って思った。