世界は称賛に値する

日記を書きます

飲み会と別れとぜんぜん数行ではない結末

▼▼遅刻者含めて最終的には五人で飲んだ。題目薄めの飲み会だった。珍しかった。描写しようとして言葉に詰まった。なぜだろう。詰まる理由があるかなー、と考える。心理走査してみる。めぼしいものは発見できないように思えた。思惑背後に時折潜むような、意図と自覚無き逃避の可能性も、なさそうかなと思った。匂いが違う、ような。
▼▼数行でよいから書いてしまおう、と思い直した。思い直して言葉を置いている。何も残せないよりはよかろう、という、無いよりマシ思考、だ。比較的頻繁に参照し──活用している思考型だ、と言える。少なくとも百回は持ち出しているだろう。好きな奴だ。思考型を活かす思考型はわりと鍛えつつあるぜ、という判断も少しできてきている。
▼▼最近は酔うのを避ける傾向にある。非効率が目につき始めているのだと思う。酔いがなくても楽しめるしなー、と考えているせいだ。飲酒禁止寄りな人間と遊ぶ機会が多いから、というのもある。酔いが残る嫌な記憶が沈殿してきているのもおおきいかな。なんて状況が積み重なって、飲酒を欲する理由が日に日に少なくなっているのだった。ゆえにだから、題目を置かない至極単純な飲み会というのは、だいぶひさしぶりだった。
▼▼比較的甘めの酒を時々追加注文しつつ、数時間ほど歓談した。甘い酒が好きだ。というより、特別酒が好きでなく、甘さで誤魔化している。甘党である。
▼▼回想話題の比率が高いように思えた。昔話に華が咲いた、って奴である。意外と珍しかったかと思う。でもって、楽しかったようにも嫌だったようにも思える、なー。お、不満はここかな……? とふと思った。言葉に詰まった理由ってこれかなあ、と思えてきたのだった。回想懐古の話題が妙に多くて、軽く不満だった、ような気がしてきている。可能性は垣間見える。終幕や終焉の匂いが妙に強くて不満だった可能性、だ。素直に考えたらぜんぜんありうるな。終わりが見え隠れすること。縁遠くなりそうなこと。
▼▼別離に対する哀しみは整理できていない。綺麗な整理はしたくないのだろう。別れの哀しみがなくなると対応に困る、というのはあると思う。悲しめるほうが助かる。極端な判断を同時に抱えて混乱しているのもある。時々は死別すら哀しまなくてもよいようにも思える、し、死ぬわけじゃないんだから──別に今生の別れじゃないんだから、と呟いて哀しみを軽減しうる目線も活かせるぜって思えてしまう。場面場面における判断に納得要素があって、おのおの矛盾しているわけでもなくて、逆に混乱している様子だ。
▼▼逃避の匂いはない、なんて言っておきながら、結局は逃避と近似だったなー。よい経験になった。見間違う経験はよい経験だろう。けど、見間違いじゃないかもなので注意もしておこう。現時点での判断こそ単なる誤解で、言葉に詰まる理由は別にあって、という可能性はまだぜんぜん残っている。覆りうる。のも踏まえておく。楽しかった。