世界は称賛に値する

日記を書きます

カラオケでオレンジアンドタール

▼▼勤務を午後2時で一旦締める。勤務後に待ち合わせて遊んだ。池袋に向かう。池袋のジュンク堂で漫画と小説を買ってから、眼前のカラオケに向かった。唄い聴くのと読書を同時に兼ねるという比較的失礼行為を働いたかとは思う。けれどまあ思いのほか幸せな一時だった。幸せな環境すぎる、と言ってしまった。▼▼なぜ「言ってしまった」という表現を選んだんだろう、と疑問に思って少し検証していた。言いたくなかった/言うべきではなかった、という意識からの発語ではないだろう。むしろ「逆転による強調」かなと思う。言ったほうがよかった/言うべきだった、の、裏返し型の強調表現に聞こえる。
▼▼打算的に後悔心理を見せつけることによるドヤ顔、なんて言語化することが可能だろう。後悔していると見せかけたドヤ顔、という文章も、同時に発想できた。けれど、発想はしつつも、実際的な解釈までは、流石に躊躇ってしまって、遠慮かつ自重してみた。確かめてから記述したほうがよいかな、と思ったのだった。実在も比率も制御技術も明確にせずに記述するのはどうなの、という判断である。
▼▼無論、解釈の一つとしてはアリだろう。と踏まえておこうと考えている。見せかけの後悔だ、と解釈することは可能である。打算が混じり始めた時点で比率は怪しくなる、というのもあるな。嘘発言の可能性がぽっかり開けてきてしまう。怪訝な眼差しあたりはむしろ妥当な線だろう。なんて普段から考慮しておいてよい、と考えているのだった。してしまった、という表現は、比較的頻繁に活用している。意識して目立たせているところもある。ので、なおさらだ。できるだけ状況把握しておくほうがよいだろう。